天啓観測

Hi zombies!

“創作百合”におけるヘテロエンドにおける怒りにおける誤解における原因

‘創作百合”におけるヘテロエンド

 そもそも百合ってなんだろうか。どんなものが百合? と同志百合オタクに聞いてみてもその答えは様々です。

 女の子の間に恋心があれば百合。
 女の子が仲良くしてたら百合。

 ちなみに私は「女の子が二人以上存在したら百合(になりうる)」と思っています。こっちの妄想次第ですからね。

 百合界隈には様々な問題が常にありますが、

 とりわけ百合界隈を常に震撼させている迷惑な大地震が『ヘテロエンド』です。


 百合かと思いきや最終的にどちらかが、あるいは両方が男の人と結ばれるというやつですね。

 これ、私はいまだに許せる人に出会ったことがないんですが、問題の発端って「百合」というジャンルがあるせいだと思うんですよ。

 はい。

 いや、いやいや待て、待てい! ページを閉じるな!


 ゾーニングが必要なのは周知の事実、常識です。

 そうでなければ求めてるものを探しやすくするためのPOPなんですよ。


 後者はともかく前者は、私は「二次創作のためにある」と思っているんですよ。一次創作、つまりオリジナルで、仮にそれに「百合」というタグを付けるのであれば、それは後者の探しやすくするためのPOPであるべきなんです。だって一次創作なら、ファンが勝手に感想やらなんやらで雰囲気作ってくれますから。

 いい例がサラ・ウォーターズという作家ですよね。彼女自身がレズビアンではあるんですが、日本で百合作家として受け入れられていますよとのインタビューに「私自身はそのつもりはありませんが、そう受け取っていただいても嬉しいです」というようなコメントを残しているんですよね。


 話は戻りますが、

 ヘテロエンドが嫌われる所以となったのって、そのPOPではないかと私は思うんですよ。どういう意図があってかは知りませんが、最終的にヘテロで終わる女の子の恋路を描いた作品を百合として売り出すこともある。もしかしたら構想段階では女の子とくっつく予定だったのかもしれませんが、少なくともそんな理由では「騙された」と感じるのも、仕方ない気はします。特に私のような百合豚には。

 ヘテロエンドだったからってその作品がつまらなかったか? と言われると、それは全く違うんですよ。けど百合として売り出されてしまったがゆえに、作者が辿り着きたかった結末がうんざりされてしまうという残念なことが、往々にして起こっているんです。


 ぶっちゃけ、その最前線を行くのがネットですよね。

 小説投稿サイトを見たまえ、絵や漫画を投稿するサイトを見たまえよ。少しでも女の子が触れ合うシーンがあればGLのタグを付けなさい。キスシーンを入れたいならR18タグを付けなさい。そう言われる。

 

 ほわい……


 ホワイジャパニーズピーポー……

 

 ちょっと外に出て映画館に行ってみなさいよ。ちょっと外に出て書店に行ってみたまえよ! R指定の付いていないような作品の中で、男女が突然えっちしたり女同士で突然えっちしたりするんですよ! サラ・ウォーターズとかまさにそれじゃあないか! そこにはR指定もGLタグも存在しない! 最前線をいく「一般」が! ゾーニングできてない!


 でもそれが普通じゃあ~~~ん!!! それでいいじゃーん!


 そりゃなんかGoogleのあれとかなんかのあれのやつで、厳しいのかもしれないよ。青少年の健全なうんたらかんたらな!!! 性教育すると性行為するらしいし!!! もうわけわかんねえ!! ほろろろろろ!!!!

 


 最終的にヘテロで終わるから百合タグは付けたくないな、怒られるし。

 そう作者が思っていても、その前の時点で女の子がいちゃいちゃするのでタグをつけなきゃならない。百合タグを付けた上で作品を終わらせてみたら「ヘテロエンドかよ」と言われる。こんなんじゃやっていけないですよ。


 でもタグさえなきゃ「最初から私百合作品だなんて言ってませんけど?」とでかい顔ができる。


 二次創作というのはオリジナルの思考が反映されてないから、ゾーニングは必要かもしれませんが、こと一次創作に限っては、そうあるべきではないと私思うんですよ。むしろ害悪とまで思える。

 仮にね、仮にBLが地雷な人が、なんのタグも付いていない作品でBLを見つけてしまったら、どうすればいいと思いますか? 読むのやめたらいいでしょう。えっちなシーンも、GLも同じです。


小説家になろう」なんてキスシーンでBANですよ。キスいれるからR18タグ付けようとしたら、これ逆に人が寄り付かなくなるんですよ。タグに寄ってきた人には「大してえっちなシーンないやんなにこれ」と思われるんですよ。R18タグのせいで本来持とうとしていたメッセージが見えなくなることもあるでしょうよ。


 手枷付けられてね、創作なんかできるかよって話なんですよ。