天啓観測

Hi zombies!

音楽家の街 SS(ショートショート)

 

 

 神社の脇に生えるなにかしらの広葉樹は、学校目前の歩道橋を歩くと高いところにあるその葉を手に取ることができるので、通学時にも下校時にもみな何か目的があるわけではないがそれをもぎっていって、手遊びをして放るというのがしばしばされていた。これも平日の朝のことであったが、私が小学生のとき、同じ通学班の一人の生徒がそれをいつものように手に取った。彼は鷹揚にそれを口に持って行くと、勢いよく息を吹き、通学班からは音にならない驚きが広がった。それは草笛というごく普通の技であったが、特に目的を持たなかった葉っぱが、なんと楽器になるというのだからみなそれを真似始めた。

 当たり前のように葉っぱをもぎっていたのだから、これに草笛という楽しみが加わればこぞってそのようにするのが自然な成り行きである。しかしそういうことがされ始めた一週間後のことであったけれども、母が私の唇を朝に見て、小さな悲鳴を上げ手に抱えた盆を落としたのが異変の始まりであった――というよりは、考えてみれば当然のことが起きていたのだ。唇が腫れるようにかぶれている。無数の出来物が口周りを痛々しく覆っている。その酷い有様は鏡で確認できたが、その時はそれほど強い危機感は覚えなかった。葉っぱでかぶれたのなら、二度と草を食まなければよいだけのことであったからだ。

 通学班に加わると、全員の唇が私と同じように腫れていたのがどことなく滑稽であった。皆が皆同じ症状を浮かべていた。その原因が分からずにいた男子生徒はいつもと変わらず葉を毟り取り、それで笛を面白く奏でるのだった。いや、そう、奏でた。最初は変な音しか立てなかった草笛は、音色を抱き音楽としての態様を呈し始めた。男子生徒も通学班も色めき立ち、放課後には同じ方向に帰るほとんどの生徒が彼の腕を見てやろうとし、それに感動すると全員が毟って行った。全員の唇が腫れていた。

 葉は子どもたちの唇を腫れ物にすることをやめなかったが、どうもその経過が酷くなるにつれて、草笛の楽器としての精度が上がっていくように思われた。実際にそうだと気が付いたのは、唇を腫らした者のソプラノリコーダーも鍵盤ハーモニカも、はては声楽までもが到底たどり着けないはずの大人の水準まで技術が向上していることに皆が気付いたときだった。草笛を吹けば音楽が驚くほどうまくなる。こんな愉快は他にないと誰もが思ったし、特に音楽を始めから自らの物にしようと高い月謝を払って教室に通っていたような者たちは、ほとんど鬼のようにそれを欲した。

 しかし、全員が葉を短期間で取り去っていったので、広葉樹の歩道橋に向かって伸びる枝は、初夏だというのにほとんど剥げていた。ある日男子生徒が遠くにある一葉を取ろうと手摺から身を乗り出し、あっという間に落下した。道路に彼の身体がひしゃげ、咄嗟のことに反応できなかった車両が二度少年の身体を乗り上げた。

 学校や自治体の行動は早かった。その当日には歩道橋に人の立ち入りが禁止され、翌週には到底乗り越えることのできない高さの柵が天に向かって聳えた。草笛の流行は誰にとっても一目瞭然だったのだから、二度と高いところから身を乗り出さぬようにというお触れが、これでもかというほど出されたし、あの事故を見ては誰も二度と草笛などしはしないと思うほどげんなりとした空気が蔓延していた。

 草を食むことがなくなれば、唇も健康的になっていく。出来物の跡が付いて後悔の念を抱く者も少なくはなかった。驚くべきは、そのように腫れが引いていけばいくほど、音楽の技術も潰えていくことだった。

 これに我慢できない者がいた。以前から音楽をやっていた者だ。せっかく掴んだ楽に技術を向上させてくれる手段がこのまま使えなくなっては困る。合唱祭で伴奏を担当した女子生徒が、無理に柵を登り、向こう側に、ただ指先の引っ掛けることだけを頼りに、躍起になって片腕を伸ばした。それがうまくいかずに時間をかけるうちに、人が集まり、「早く戻れ」と怒号に近い説得が飛び交った。歩道橋の下の道路の端から、歩道橋の階段のところから、上から教師と、救急の隊員が、なんとか彼女を救おうと――それもそうだろう、男子生徒が惨めに死んだ痛ましい事件が起きたのは、ほんの最近のことだったのだから――していたが、彼女はバランスを崩し、あっけなく落下を始めた。その瞬間に彼女は黒い唇から悲鳴を放った。そのなんともいえぬ美しさが、野次馬の嘆きを止めた。カーテンが風に弄ばれ、そこで白いワンピースを着た少女が胸に手を当て、くすくすと笑うような、ごく情緒的なメロディーを、彼女の悲鳴が伴っていた。落ち、割れる音さえ麗らかだった。散と不意に雨が降り始めたかのような静けさが辺りを包み、すすり泣く声だけが響いていた。誰もが胸を打たれていたのだ。

 学校と自治体の行動は早かった。翌日にはすべての柵が取り払われていた。