天啓観測

Hi zombies!

ツイートにしておくにはあれ 2

薬飲んだ途端に本当に元気になって、本当にしようもないと思った。息苦しくなって生きづらくなり薬を飲む度に消えてなくなりたいと思うけれども、私を生かす呪いが、例えば好きな人間に幸福を願われたみたいな呪いが、常に渦巻いている。そして生きている。

 

哲学と文学に親しんできた人間は、唯我的で疎まれるのがその役割だし、一切実存に妥協せず、浮世離れしていなければ嘘だと思う」

 

人が悩んでいるのを見かけていやしくもなんか言ってやろうとするなら、しょうもない3秒で考え付いた助言にも満たない持論を言うんじゃなくてそれなりのまともなことを言うべきだし、大抵の場合そんなの不可能なんだから傾聴してやったらいい。それが我慢ならんなら口を縫ってくれ。」

 

私は薬が切れたらもう二度とは寝れんくらいの馬鹿みたいな不眠だが、それ自体はなんも後悔していない。ひとつのことを考え続けて空が白んでくる経験をしたことがない人間の意見が、私の耳に、入ってくると思わないで欲しい。」

 

大抵の恋愛小説が結ばれた途端幕を切るのはそっからはもう一つも面白いことがないからです。」

 

ちょっと今日は機嫌がよかったからたくさんツイートしちゃった。薬を飲んだよ。えらいね。気絶するように眠って、朝はなんかしらんが目覚めて、なにか特別なこととゴミの中から綺麗なあれを探そう。」

 

「寝れねえ時と腹が減ってる時は他人に優しくできません、他人に優しくするためにも沢山寝て沢山食べてください」。よっぽど配慮のない人間にしか言えないことだな。優しさと都合の良さはなぜかいつも混同される。自分の面倒見るのが他人のためなら、自分か他人のどちらかは存在しなくてよい。余計。」

 

不眠で食欲もないから人にやさしくできない、ごめんね。ああ、寝れさえすればね! 寝れさえすれば優しくしてやったんだが!」

 

精神的に余裕が無いやつはもっとよく寝てもっとよく食べろみたいなことをいけしゃあと言える人間はそりゃ精神的に余裕があるだろうなと思うよ、馬鹿っぽいから。不眠も食欲不振も精神的に余裕が無いことから始まるわけだけど、分からんわけでしょそういうことが。」

 

よく分からんけど、認知症の老人引っ張り出してきて「なんで脳トレしなかったんですか?」とか事故って骨折った人間に「なんでもっと気をつけられなかったんですか?」とか言わないみたいな気遣いはできるのに、なぜか人はメンタルの病気に関しては一家言あるみたいな顔して適当なこと言うんだよ。」

 

他人の自己肯定感を高めるようなコミュニケーションをしていると割とよくあるのは、その人がもはや私の思考なしに自分のことを褒められるようになった時、かなりすんなり縁を切られるという経験です。私は割とそういう断捨離がされることを許容しているし、最終的に私の不在に気が付いて戻ってきた時も同じように関わってやるけれど、そういう、同情のために要した感傷と、それを救ってやるために弄した理屈で、私自身が精神的に病んでしまったことだけ、なんか覚えていてくれと思う。人の不幸とか苦痛に寄り添う時、同じところまで深みに嵌らなければならなくて、その癖引き上げる時は全力で思想や論理を用いなければならない。私は自殺願望が常に渦巻くほど気が滅入っているのに、ただ哲学と思想で生き延びている。私を私と同じように引き上げてくれる人は現れないだろうと思う。うーん、抽象的なので具体的に言うと、たぶんそこら辺の人は私の「虐待」の話や「非行」の話は聞くに堪えないだろうし、同時にニーチェショーペンハウアーほど思慮に富んでもないので、俗世では私がいつだって救う側にいるということ。で、そうするとわりかし簡単に縁を切られたり不必要になって放っておかれるわけだ。」

 

本能に理屈でぶち勝ってさ、このまま少子化進めて、日本全体で心中しようぜ」

 

3歳の頃に乗って楽しかった遊具を6歳くらいになるともう親にねだれなくなってしまっていたあの感じ…… 周囲の反応を見て勝手に大人びていく子供たちはみじめ」

 

秋から冬にかけてのこの時間、空全部がパステルカラーの虹みたいになっていて、かわいい」

 

貧乏人の最後尾、精神病者の最後尾、そういうところを走っていないから私は私が尊いけれども、さっさと落ちるとこまで落ちぶれて、凍った川に身を投げて死にたい衝動もある」

 

金持ちはミニマリズムをやる、貧乏人は派手に生きろ!!!!」

 

エロい男の鎖骨、可愛い女の一生傷、愛さずにいられない。死ぬまで撫で回してたい。」

 

タワマンに住むとか、いい車を買うとか、割とそういうのがより良い生活への欲望ではなくて、実はブランド物を着るみたいな顕示的消費に根ざすものなんではないかと感じる時が多い。金があったって思想がなきゃ仕方ねえなということを教えてくれる。貧乏人の僻みだと思われたら癪だが。」

 

容姿で褒められるっていうのは、これは例えとしてはあまり嬉しい話ではないが、顔面が大火傷したり、腕が切れ落ちたりしたあとは、もうこの人は二度と褒めてはくれないんだろうなということを証明してしまう感じがあって、あんまり好きではない。」

 

一生いまのままがいいな 大学生やって、生活費に苦しみながら働くんだけれど、塾の先生は、楽しいし。生徒は無邪気に慕ってくれる。生きているだけで薬を飲んで泥のように眠る。朝が白んで薬が切れて起きる。売れない小説を書く。人間に苦しむ。」

 

同情するなと昔に書いたが、あえて同情しないということ自体が、高次の同情と相違ないことも書いておくべきだった」

 

他人の気持ちを慮れるやつから病んでいく」

 

好きな人間がそれで、本当なら他人に向けるべき悪意を、自傷という形で自分に刻んでいるのを、知っているのに、私はなにもしてやれないから屑、生きてる価値もない。」

 

悪夢を中心に7つくらいの夢を見た」

心頭滅却すれば火もまたアレだし。」

 

世間話の中で交わされる社交辞令や愛想を、人々は許しているの?それとも最初から何も感じていないの?いずれにしたって気味の悪い、可愛くもない、馬鹿らしい」

 

恋愛はシャワーなので、身体の芯まで温まらない。表面に与え続けなければ凍えて死ぬ。病」

 

どうしても一緒に電車乗って帰りたくない同僚を避けるために近くに住んでる同僚の家に遊びに行くっていう嘘をつきたかったから、その同僚に「遊びに行くっていう嘘をこれからつき続けていい?」と聞いて許可を得たので、無事嘘をついて一人で帰宅してる。」

 

私たち現代人の出世欲は分かる。資本主義にどっぷり浸かってきた我々世代の金儲け欲は。だが次の、我々の子どもの世代! 愛らしい幼子たちを幼舎に入れ、遊びを覚えさせすくすく育つ脳みそに教養を教え込むのが、20年後の労働のためとはね! 哀しくはなりませんか。子育ては労働歯車の型作りなのか。可愛い子どもに労働をさせたくねえ、16歳未満の労働を禁止するのなんか欺瞞だ。教育制度が社会の歯車育成制度である限り。「立派な会社に入ってお金稼ぐためにいっぱいお勉強しようね~」が学問の正当な理屈である社会ってなんなんだ。結婚願望が実は単なる願望ではなく幼少期に植え付けられた大人としての態度という強迫観念であるのと同じで、金を稼げる大人になるという願望も、もはや思想ではないのではないか?」

 

悪しき労働という非文化的行為を許容するのはやめろ。考えうる限り最悪の労働をするんだよ、私たちは。」

 

どうせ誰も愛してくれない、私には金がねえから」

私もお前らを愛してない、金を持ってるから」

 

私の運命の路上にいたちぃせえ石ころ、それがお前。」

 

私はめちゃくちゃおもしろい人間なのに、私の気を一ミリも引けなかったせいでこの楽しさを享受できない人たちがいるの、可哀想。」

 

芸術の絶対的頂点は全ての芸術からそれ以外の勝敗を取り除くので、芸術はそれによって極限の自由を得るわけである。我々がいくら練習したってルノワールの絵は乗り越えられない。芸術には覆すことのできない君主がいる。それでいて君主は死んでいる。全ての音楽はすでにショパンラフマニノフに負けているから、これからはどんな音楽を作ってもいい。同じように全ての小説はすでに夏目漱石アガサ・クリスティに負けているから、これからはどんな小説を書いてもいい。」

 

シャッフル睡眠法ね、高架橋下の捨て猫、夕立ちのあとの虹の爆発、ガードレールの錆を削って出てくる砂金、時が巻き戻って空に戻っていく雨粒、筆を使わず指で詰ったキャンバスの絵の具、赤い百合の花、全部真っ白の落ち葉、連続した昨晩と今日、英国みたいな形の珈琲の染み」

 

人を好きになるとつい忘れてしまうが、私は結局、万物の仮象として最も愛せるその人が幸せならなんだってよいのであって、それが私の不幸に直結するなら、平気で指を落として腕を折るようなことをする。いずれ治る傷だし、治らなきゃ死んだらいい。」

 

その人自身が好ましいのではなくて、全ての人々から好ましい点をより多く集めたその人の在り方が好ましいだけで、結局私によって、この世の人々全員のことが愛されているにすぎない、愛すべき万物の仮象とはそういう意味にすぎない、あるいは好きではない。」

 

ゾンビ思想の揺るがない根幹は、けして忌み嫌うべき人に向けられる憎悪を系譜とするものではなくて、むしろゾンビとは到底信じられないような人に向けられた無限の愛に見付けるべきなんだ。」

 

もう二度と誰も愛さねえという確固たる意志、それが博愛主義」

 

誰かを愛するとき、愛しきれない誰かの代わりであり続けるのは確かである。連続にせよ断続にせよ、私たちは本当は世界全部を愛したいけれど、適わないわけだ。世界に最も近しくて、手の届く人間を選んでいる。だからこそ博愛主義は「もう二度と誰も愛さないという確固たる意志」だと言うんである。なぜなら、人は二人以上同時には愛せないから。ましてや、一人目が自分なら。」

 

言葉にされないと何も分からないが、大抵の人は口を噤むので、それならば行動で示して欲しいけれど、この行動というのが一番信用ならんのだ。」

 

時間が特に生の延長ではなく死の延期であるとすれば、未来は一切存在し得ないが、それが刹那主義と結び付かないのは、未来それ自体が私の過去や現在と同時に存在しているからである。私は一秒先には死んでいるが、100年前にも100年後にも生きている。ノー、生きていた。」

 

メリークリスマス!くそゾンビ共が」

なぜ煙草をやるのか。寿命が縮むから。」

冬、煙草、ショパンピアノ協奏曲一番二楽章」

 

私は生と死の中間を探して彷徨っているんですよ。どんな苛烈な生も耐えうるし、実際、そういうことを標榜するような道を来たわけだが、生誕という誰しもが持ち合わせている不可抗力の要素自体には何ら愛着を抱けない。死ですら、万物に平等に訪れる普遍的で没個性な概念であると思われる。」

 

愛しすぎて厭わしくなった。生きることも君らのことも死ぬことも」

 

みなさん本年は、なにかとあれをあれし、お世話になるだのならないだのと、しかし昨年よりは親しく、とはいえ昨年よりも小慣れた感じで、だからといって疎遠にするということもなく、私は私でより不自由ゆえに自由に過ごし、皆さまの方におかれましてもまた、私のあり方の是認については、ある程度とい」

 

東京に帰ってきました しみったれた街ですこと!」

 

名誉はあるが教養のない人の、三秒で考えた嘘が、また無感性の人間の一生の事実になるという可能性の恐怖を、もっと体感せねばならない。」

 

体調の悪いときの好きな人ですら好かん感じ。普段嫌いなやつが好きに見えてくる。」

 

恋愛は自白でのみ成り立つ」

 

前進を感覚してもその次の瞬間には物凄い速度で後ろに引きずり倒されてるもんだから、人生やるせない」

 

指四本、たぶん銃口とそう変わらんだろう、その感覚は、口に咥える感覚は、じっと自殺衝動に耐えるとき、私は歯で指を噛みながらそれが過ぎ去るのを、気管の辺りを弱々しく行き来して、肺に届かない呼吸を感じながら、脳髄で火薬でぶち抜く想像をしながら、待つ。」