天啓観測

Hi zombies!

生誕の災厄 所感

 シオランの本はずっと欲しくて、なににしようかと迷っていたのですが、とりあえず「カイエ」は買えそうになかったし、自分の誕生日に「反出生の本」を買って、親も見てるインスタグラムのストーリーに貼ったらおもろいかなと思って「生誕の災厄」にしました。

 

 断章で何部かに別れているけれど、類型化されてるわけではなく、特定のテーマに沿っているどころか、特に反出生のみについて語っているような本でもありませんでした。哲学書と呼ぶよりは美星のツイッターがもうちょい尖ったようなものだと思ってもいいかもしれません。

 

 究極のペシミストと捉えられるシオランですが、やはり根底に生の意志が見えます。ニーチェの影響を受けていたというのはそれほど間違いではなさそうです。「この世はカスですね、死にましょう」みたいなことが書いてあるわけではなく、同じような境遇の人に添い寝するみたいな、意外にも優しい文章が並んでいます。微笑みながら言っているみたいな印象がありました。

 

 また、「生まれなければよかった」ほどのことも言っていません。人生に絶望していたらその末端、生と死について論じるしかないよね、みたいな論調です。私もよく恋愛について「結ばれるときと終わるときしか物語にはならない」みたいなことを言いますが、似た思想です。とはいえ、新たに生まれてくる人や同時に生まれついたという事実自体にはめちゃくちゃ暴言を吐くので、掴みにくい思想かと思いますが、シオランはそれほど自身の思想に矛盾があることを恐れていなかっただろうし、別に齟齬が起きているとも言えません。恋が実を結ぶ時や破綻する時、もはやその中途には考えも及ばず、その最初と最後の地点に知性が及ぶとすれば、やはり中途には価値がなく、立ち位置は常に始まりと終わりの極地にあるべきではあるけれども、最初から存在しなければその期間には自由であったのに(存在しないことは自由なので)という感じですかね。生まれ得たことで人生という檻に閉じ込められたくらいのことが言いたいのでしょう。

 

 ニーチェは「悲劇は悦びの一形態である」的なことを言っていましたが、シオランは「悲劇は悲劇であり、そこから生じる悦びは無価値である」というようなことを言います。とはいえ悦びはなんかしらの出発点だ的なことも同時に言っているので、まあなんですかね、シオランは憂鬱症の人間に特有の、良かったことも否定的な視点で捉えるということをしていたのかもしれません(ニーチェが絶望を良かったこととして捉えるのに反して。「ニーチェは多幸症で死んだ」と本に書いてあってウケました)。そして、そういう良かったことをただ肯定的に捉えて、それで良しとするような人間たちのことを徹底的に否定しています。シュティルナーの唯我論的というか、美星大先生のゾンビ思想というか、それというよりかはむしろ憂鬱症患者にありがちな要素をまとめて集団を作って、俺らこの小さな地獄で眠れぬ夜を一緒に過ごそうぜ、世の中は仕方ないしさ、みたいな雰囲気を感じますね。末人に耐えかねてニーチェが世直しをしようとしていたのとは対照的で、ショーペンハウアー的なものに近いかもしれません。仏教にシンパシーがあったらしいので、有り得そうですね。

 

「絶望して、自己自身であろうとしないこと」「絶望して、自己自身であろうとすること」キェルケゴールが絶望の形態に対して挙げた種類ですが、シオランは後者を取っているように思います。また、「無限性の絶望は有限性を欠くことである」「有限性の絶望は無限性を欠くことである」もキェルケゴールの言葉ですが、シオランは「死」を「無限の状態」と表現しています。とすると対義は「生」が「有限の状態」であり、生きることで無限性が否定されて、有限の中に叩き込まれる有限の絶望が思想の根底にあるかもしれません。とすると、「有限性の絶望」ならぬ「有限性の希望」とはなにか。死ぬことであるという論法が成り立つし、シオランの思想を体系化したらキェルケゴールにめちゃくちゃ似るんではないかな、というのが私の最近の考えです。

 

 さて、所感ですね。

 美星はニーチェ思想で身体を壊して鬱真っ盛りのときにシオランに出会いました。誕生日に心療内科へ行ったので、私は抗うつ剤で憂鬱が消えていくさなかに「生誕の災厄」を同時に読み進めていたことになります。鬱の人間の言葉は鬱の人間にしか伝わらないし、不眠の人間の言葉は不眠の人間にしか伝わらないんだな、ということを、身を持って時間的に認識した一ヶ月でした。シオランの言葉は、私の状態がよくなるにつれて、わりかし価値が薄れていきます。だからといって意味を失うわけではないし、悪かった状態を思い出すとき、そしてそれを忘れたくないと思うとき、そして将来また身体を壊したとき、私はまたこの本を端から端まで読み返すでしょう。

 

 ニーチェばかり引用して恐縮ですが、「自殺を思うことは人生の慰藉剤」であるとするなら、シオランの断章はまさしく慰藉剤です。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が若者の自殺者をめちゃくちゃに増やした話は有名ですが、あんな希望の作家として捉えられているゲーテの本で人が死ぬのです。でもシオランのこの本を読んで、よしわかったじゃあ死のう、とはならないかもしれません。シオランはびっくりするほど優しい顔で憂鬱に寄り添おうとします。文学性も哲学性も排除されたアフォリズムはかなりすっと理解に入ってくるし、薬にしても副作用は少ないでしょう。隣に置いておくと安心します。抗不安剤です。