天啓観測

Hi zombies!

幸福を犯す

 

「生まれた時点で幸せじゃん。しかも日本だよ。どんな親のところに生まれたって、こうやってスマホとかもあるし、インターネットもある。アフリカの人たちなんて、お風呂なんか入れないし、トイレだって2000人で共用してるんだよ」

 

これを知人に言われたが、どうもその人から出る言葉らしからぬ感じだったので問い詰めてみたら(別に問い詰めるというほど厳しくは聞いてないが)受け売りだった。YouTuberの受け売りである。

 

まあそのYouTuberの言葉が心に響いて、自分の言葉として使おうとしたのはいいだろう。相手が悪かった。私はむしろこういう理路で説かれる幸福論のおかげで、幸福が実際に虚妄だということを信じられる。

 

もし幸せという観念が絶対的なもので、究極の価値を持つのだとしたら、どこぞの国のどういう状況なんてものは引き合いに出されなくていい。つまり、不幸を引き合いにしなければ幸福が成り立たないということを、この論理は明らかにしてしまっているというわけだ。「幸せ」とはなんと脆かろう。涙が出るね。

 

そのアフリカ人(観念上の)が日本人を見て「ああはなりたくないね」と思う可能性。置かれた場所で咲きなさいとはいうが、置かれた場所を他より優れてると思わざるを得ないのが私たち人類の適応力という特質である。だから咲きなさいという奴が出てくるのだ。だがやはり多少考えをめぐらせれば。つまり、少しでも疑念の心があれば、やはり親はいつだってハズレだし生まれた国だってハズレだとも。

 

虐待する親? 子供を殴るなんてクソ喰らえ。

虐待しない親? 子供に虐待しないなんてその子の人間強度を下げるだけだ。

 

インフラが整った国はやりがいがないし、整ってない国は住み心地が悪い。スマートフォンがあると常日頃から他人の監視下に置かれるし、スマートフォンがあるのに「デジタルデトックス」が流行る昨今である。じゃあ最初からなかったらよかったのでは。いやそれじゃ不便だ。困ったね、やはり幸福を認めようとする論理は脆くて不甲斐ない。家族愛、郷土愛、隣人愛。どれもそこから逃げ出せない人が考えた逃げられないが故の幸福の形である。不幸を享受すれば幸福なんてものに頼らなくてよくなるのに。

 

幸せなんてものはないんです。あるとしたら、それは「どれだけ不幸でないか」を測る「範囲」の名称です。存在なしで無いは無いと言ったが、この点においては偽である。不幸なしで幸福はない。幸福は、不幸の無から成り立つ。いやそしたら、存在なしで無いは無いというのも、この点においては真であるか。「不」が記号として使われない唯一の状態。幸福は、不幸がなければない。

 

50億ドル誘拐事件

「ちょうど2000ドル足りないんだ」

 ジョナサンが言うと、ボブは走らせていたペンを止めて、彼を振り返った。

「なにがさ」
「学費だよ! 今度の9月に支払いがあるのに」
「親は頼れないのかい」
「この前の仕送りを、ぜんぶカジノに使っちまった」

 ボブは深い皺を寄せて唸った。

「おいまた悪い癖だな カジノに行くのはいいとして儲かれないならやめろよ!」
「俺は金が消えてく感じが好きでギャンブルをするんであって、儲けようとしたことなんか一度もないんだ」

 ボブはジョナサンの言葉に思わず涙を零し胸元で十字を切った。

「神よ、こんな清純な男がいままでいただろうか」
「しかしどうしようもない。こうなったら、あれだ」
「あれとはなんだ」
「三日くれ、ボブ!」
「ALRIGHT!」


 ジョナサンがなにを待てというのかは分からないが、ボブもそういえば家賃の支払いがふた月分溜まって800ドル必要なことに気が付いていた。


 ジョナサンは三日三晩寝ずに、金を仕入れる方法を考えた。その翌日、ホワイトハウスの執務室に怪しげな一本の非通知電話が掛かってきた。


「こちらホワイトハウス
「俺はジョナサン。大統領の娘を誘拐した」
「掛け直します。電話番号を教えてください」
「ああ、554――」

 事務員は大統領の部屋を訪れた。

「大統領、このような電話が」
「ふん、どうせ悪戯のやつだろう。大統領は結構忙しいのに、構っていられるか」
「しかし、万が一のためにも確認だけは取ってはいかがです」
「正しい」

 大統領が自宅に電話を掛けると、ファーストレディーは大わらわだった。アレクサンドラはたしかに誘拐されていた。

 GODNESS! 大統領は叫んだ。「犯人の要求はなんだ」

「はい、掛け直してます」
「Johnson's here」
「こんにちは、忠実なる合衆国民のジョナサン。ミスアレクサンドラ解放の条件は?」
「50億ドルだ」
「大統領、50億ドルです」
「出す!」
「出します」
「ありがとうございます」
「どこで引渡しを?」

 身代金目的の誘拐は、引き渡し段階で決着を見ることが多い。犯人が捕まるのは、いつもそこだ。しかしジョナサンはそのことを知っていた。

ミネソタ州ペンシルヴァニア州ニューメキシコ州フロリダ州カルフォルニア州、それぞれの首都に、10億ドルずつばら蒔いてくれ。日程は今度の日曜日、時間は昼の13時だ。娘は一人でとある州のとある署に出向く」

 ホワイトハウスは要求に従った。

 犯人を捕まえようにも、休日昼間の首都はどこも繁盛しており、人でごったがえしていた。全員が空から降って湧いたドル札に舞い上がり、一枚でも多く取り去ろうとお祭り状態であった。

 そんな中、五つの州のうちのひとつ、某所にジョナサンはいた。「1994,5,6,7....よし、これで2000ドルだ。ボブ、お前は?」
「僕も800ドルもらったよ」

 これにて一件落着。ジョナサンは学費を払えたし、ボブも家賃を払った。大統領の元には娘が戻ってきて、国民にはお金が振る舞われた。景気は上昇、なにも知らない国民は大統領に感謝の声を上げ、大統領の支持率はなぜか134%を超えた。こうして前代未聞の50億ドル誘拐事件は幕を閉じた。

 FBIとかCIAとかもお手上げだった。ホワイトハウスで、黒服の面々が顔をしかめさせる。

「犯人の電話番号とかさえ分かれば……」

 ジョナサンからの電話を受け取った唯一の女は、母の手ひとつで育ち、立派に公務員としてホワイトハウスに務め働いていたが、最近では恋も上手くいかず、もどかしい日々が続いていた。

「犯人の電話番号、あります」

 しかしその日は、秘書の人生でもっとも輝いた瞬間であった。

 ジョナサンはいたずら電話の罪で逮捕された。

小学生時代に経験した母親の不倫と転校

・母親の不貞はある日突然始まった。いや、あるいは私がそれと知らないうちに、すでに始まっていた。母親がそれでもまだ母親であれたのは、私を捨てて夜逃げしなかったからだ。そこだけはまだましだった。母親は、私のことを異常なほど愛している。特に当時は、いま考えれば病的なほど愛されていた。スキンシップが過激な程度には。当時は意味が分かっていなかったが、舌を入れるキスをしてくるのが気味の悪いことこの上なかった。

・ということで、母親は、私を不倫相手との遊びに連れ回したのである。そして私に、帰り道言うのだ。「今日のこと、お父さんにはひみつね」

・私がどれほどその秘密を深刻に捉えていたかはいまとなっては不明だが、少なくとも私が原因で母親の不倫が、当時の父親にバレることはなかった。休みの度、母親はママさんバレーの集会があるとか言って、私を連れて不倫相手とたくさん出かけた。私が知らないうちに逢瀬をやっていたこともあるだろう。

・結果としてどうなったかと言うと、いや、ここは笑いどころですよ。笑う準備をしてくれ。

・うちのアパートの扉に、「あなたの奥さんは不倫をしていますよ」という張り紙が出されたのである。これはもう爆笑もの。これが不倫が明るみに出た瞬間で、また私の転校が決まった瞬間だった。

・母親は、なんというのかな、疑いやすいぶん信じやすいところがあるといったらいいのか。まあこれは私にも受け継がれた部分なのであまり責めると自戒になってしまうが、馬鹿みたいに、周囲の「ママ友」に自らの不倫を暴露していたのである。自分で。自分から。

・母親のことくらい分かる。あんな単純な女。なぜそんな愚かな真似をしたのか。「友人を信じて疑わなかった」わけだ。そして、そんな重大なことも話の種かなんかだと思ってしまったわけである。

・お分かりかと思うが、張り紙を出したのはどうせそのママ友とやらのうちの誰かか、あるいは総意だろう。私はその文面をきちんと見たわけではないから、筆で書かれていたのかプリントアウトされていたのかは分からない。

・そして、こんな人生の転機みたいなシーンのことを、私はあんまり覚えてないんだこれが。たしか張り紙があったところには立ち会っていて、あっと言いながらそれを引き剥がした母親の姿は記憶にある。しかしそれからどういう運びで実父と母親が離婚するに至ったのか、まるでよく知らん。そしてなんだかんだ、不倫による離婚ということにならなかったような気がする。

・母親は嘘が得意だ。誰かのいたずらと言うことになって、むしろそれを離婚の契機にしてしまったわけである。だからあの愚かな父親は、慰謝料も貰えず親権も貰えず、のこのこ家を出ていくしかなかったわけだ。しかしとはいえ、あの例の「ママ友」にそういう告発をしたやつがいると分かった以上、私の家はもうその地域にはいられなかった。田舎ですからね。噂は都会のネット回線より速く伝播する。

・あとあと幼なじみに確認したところによると、私の転校の理由がどうやらそういうことらしいというのは、なんとなくクラスメイトも知るくらいの噂になっていたようだ。みんな私の転校を寂しがってくれていたが、理由が分かっていてくれたなら、その寂しさも紛らわすことができただろう。同情の余地もない。

・私は友人たちに「どうやら引っ越すみたい」と言って去ったのを覚えている。母親がきちんと学校に伝える前から言っていたので、教師に呼ばれて「本当?」と聞き質されたのを覚えている。母親も私に転校するとはっきり言ってはいなかったように思うが、私はなんらかの直感で、ここには長くいられないんだろうな、という気がしていた。ということにしておこう。でなきゃ私がそんなことを言っていたわけが分からない。雰囲気だけ察知していたのかな。

・小四の三学期である。実に微妙な時期だ。これが小五の始めだったらね。いや別に大した違いもないか。転校先じゃ、全校生徒の前で「転入生です」と紹介されて恥かいた。そして、小四というと、およそ十歳くらい。母親は私のことを何歳だと思っていたのか知らないが、ここにも傑作な話がある。

二分の一成人式、みたいな名前の催しが転校先で開かれた。そのときに、両親からのお手紙っていうのが企画されていたらしく、私も例に漏れず、周りの子と同じように母親から手紙を受け取った。

・さて、十歳になる自分の子に、みんなならなんと書く。「大きくなったね」「これからもお勉強がんばってね」「生まれてきてくれてありがとう」そこら辺か。一方私の受け取った手紙の文面の、一行目は、「この手紙は、誰にも見せないでね」だった。そこには、例の経過が寸分漏らさず書かれていた。私、まだ十歳ですよ。十歳の子供に、母親は、自分の不倫と、そのせいであなたが転校する羽目になったこと、アパートの前に張られた紙はやっぱりおそらくママ友の誰かであるだろうということ、こんな母親でごめんなさい、たくさんのことを考えさせて押し付けてごめんなさい、私のことを嫌わないでください。お利口さんでいてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。

・読んだとき、私がどんな感情になったと思う。そう、なにも思わなかったとも。「そうか」と思った。二分の一成人式はそうして幕を閉じた。この手紙はいまでも手元にある。これがある限り私は親になるっていう最大の罪を犯さずに済んでいる。そういう点ではなんと見事に良い親を持ったことか。

・さて、私は別に、やっぱりこれをそんなに重大なことと捉えていない。せいぜい、転校は寂しかった程度の認識だ。転校先ではありがちな転入生に対するいじめがあったけど、一年もあれば、私には彼ら彼女らと立ち位置を逆転することが可能だった。そこら辺の小学生とは立っている次元が違う。奴らの貰った二分の一成人式の手紙は大層中身が薄かったに違いないわけだから。

・今回これを書いたのは、私がちょっと一からこのことを思い出してみたかったのと、私のアイデンティティをみんなに提示したかったこと、そして、話として多少おもしろいからにすぎない。だからあんまり深刻に捉えないでください。小笑い程度の話です。

ベッドの下に人がいる

 こんにちは、美星と申します。学生で、普段は塾や書店で働いており、趣味でブログを書いています。今日は、私が体験した少し奇妙な話を、ここに記そうと思います。

 中学生くらいの頃から慢性的な不眠を抱えていて、寝付けない日は平気で朝を迎えてしまいます。最近は強めの睡眠剤を処方してもらっているのですが、それでも夜中の3時を回っても寝られないということが多くあるのです。

 これはそんな不眠の夜でした。

 なかなか寝付けなくて苛立ち始めた私の右耳に、不意に小さな物音が掠めました。枕に置いた右耳から、どうも不思議な音がするのです。なにかが動く音とも違う。家鳴りとも違う。そう、ちょうど、人の声のような、くぐもって音程を持った音でした。

 私は元来、幽霊やお化けなどのオカルティックな物は信じていません。子供の頃から信じていませんでした。幽霊より人間の方が怖くって、同年代の子たちなら枕元に立つ髪の長い女に怯えるところを、私は刃物を持つ男がいたら怖いと怯えていました。幽霊より、殺人犯の方がずっと怖いのです。

 その癖はいまだに抜けず、枕元に立つ刃物を持った男や、ベッドの下に潜り込んで私が眠るのを待つ男がいるのを想像すると、背筋が寒くなります。

 私は慌てて枕をどけて、ベッドに耳をひとりと寄せました。それは、やはり人の声です。年を取っているとも若いとも言えない男の声が、ずっとずっと同じことを言っています。なにを言っているのだろう。ベッドの下に、なにがいるのだろう。私は音を立てずに、耳を傾け続けました。

「殺せ、殺せ」

 声は、しきりにそれだけを発していました。そこで私は、むしろ一旦冷静になりました。怪談話によくある展開だ。由来不明の声が、殺せ殺せというので、隣人を殺害するなんて、よくある話だ。あるいは、睡眠剤が効きすぎて幻聴を聴かせているのだと考えました。あるいはもしかすると、そういう幻聴を感じ取ってしまう別な精神病にかかったのかもしれない。そう考えると怖かったので、一応ベッドの下を確認することにしました。

 ベッドの下は手が届かず、あまり掃除をしないので埃だらけでした。しかしライトを照らしてみると、ちょうど私の頭の位置に、白い箱が置いてあるのです。

 こんなもの、置いていただろうか。箱をゆっくり取り出すと、蓋が閉じていました。大きさとしては、スーパーの鮮魚コーナーで、魚が凍らされているあの発泡スチロールくらいのサイズです。もしこの中から声がしているなら……そう思って耳を寄せてみると、やはり、中からは「殺せ、殺せ」と聞こえてきました。

 人が入るには、箱は小さすぎる。でも、人の頭くらいなら入りそうなサイズでした。人の頭くらいなら――。ぞっとしました。私には、その箱の中に、男の生首がびっちりと入っていて、口だけが動いて「殺せ、殺せ」と叫んでいる、そういう想像が浮かんで、背筋を汗がつたい、鳥肌で腕が逆立つ感覚を覚えました。真夏なのに一瞬で冷えきった私の身体は硬直して、しかし箱を開けなければずっとこのままだ、と思うとさらに怖くなって、箱の蓋を手に持ち、ゆっくりと開きました。その間にも「殺せ」という命令は続いています。

 箱の蓋は軽くて、すぐに開きました。意を決して覗き込む私の目に飛び込んできたのは、緑の茂る森でした。

「殺せ、殺せ!」

 声は、箱の中で暮らす小人が、狩りをする音だったのです。「右に追い詰めろ! 殺せ! 撃て!」

 なんだ、狩りか。

 私は数人いる彼らに話しかけました。

「こんにちわぁ」
「うわ、人だ!」「でかい人だ!」

 小人たちは口々に言います。彼らは小さいだけで、見た目は我々と変わりないように見えます。人間をそのまま小さく、3センチくらいにしたような様相でした。

 どうやら、掃除をしないあまり、ベッドの下に小人が住み着き、コミュニティを形成していたようです。箱の端の方を見ると、村落も見受けられます。大人の男たちが狩りに出ているのでしょう。

 私たちはすぐに打ち解けました。というのも、私が冷蔵庫からハムとキュウリを持ってきて、ちぎってプレゼントをしたからです。それからは、毎日二回、ベッドの下から箱を取り出して、食事を村に落としています。最近では赤ちゃんが生まれた家があり、5ミリくらいしかないのでとても可愛いです。

 ベッドの下に、人がいる。

My Magic!のあとがきみたいなものとあらゆる所感

・My Magic!の完結記念にその話をしよう。菜月はこちらに気が付いたから、あの作品の後ろに私の言葉があったら変だろうと思って、恒例にしていた後書きを書かなかった。ので、ここでその代わりにしたいと思います。とりわけてネタバレはしないので、まだ追い付けてない人も読んでくださって構わないし、でもまあ読んでから読む方が乙かもしれません。

・私にとって、二作目の長編作品の完結です。天上の黒百合に次いだ作品がMy Magic!でした。着想したのはコンビニで働いているときに、アイスの補充をしながら知らないメロディを頭の中で歌っていて、その最中だった気がします。魔法のアイディアが浮かんだというか、魔法が存在するとしたらどんなだろう、と思って、作中に出てくる設定のようにしました。

・つまり、現象があって理屈があるのが科学で、理屈があって現象があるのが魔法、というそういう設定です。これは作中でエイミーが可愛く説明してくれてるので、あえて深掘りはしないけれども、私にはまずその設定が浮かびました。そしてその設定が浮かんだまま、数年放置しました。

・書き始めたのは去年の三月。公募用に純文学を書いている真っ最中だった。よく絵描きがイラストの途中で別の落書きをしたみたいに言うじゃないですか、それみたいなつもりでした。結局大作になったけど。

・私は全然プロットが書けなくて、プロットを書こうとするとそのまま小説になってしまいます。で、その細部を持って一人で抱えるのが難しいので、矛盾とかを恐れずに小説として書き始めるわけです。先の展開とかある程度想定しているところに向かって、思い浮かんでるシーンとシーンを繋いで、あとはもう即興劇をやっているにすぎません。

・台詞とか地の文に感嘆詞が多いのがその証拠になるかもしれません。「ああ、」とか「菜月さん、」とか、そのあとになにか言うために一旦間を置く感じ。キャラクターがよく他のキャラクターの名前を呼ぶのは、その間に言うことを考えているからだと思います。

・キャラクターはまじで思い通りに動いてくれない。予想もしてなかったことを言う。一部分書き終わったあとに読んでみて、なにこの小説、私は知らない……となることがよくあります。

・1と10が前提としてあるでしょ。で、頭の中にはそれらと3と6だけ思い付いてる。2,4,5,7,8,9はどうする?となると、私は「書きながら考えている」わけです。書いているとひらめくというか、書かないとひらめかないので、とりあえず一文字なんかいれないといけない。これはびっくりですが、シモーネですら書くまで思い浮かんでなかった。キャラクターの設定表とかひとつもない。それは作れよと思うけど。格好のつく言い方をすると「頭の中にある」コメカミトントンですが、格好のつかない言い方をするとまじでなにも考えてません。人の考察を読んだ時に「たしかに」と思わされます。そしてプロットもふつうちゃんと書くべきだ。

・「作者の人そんなに考えてないと思うよ」はある程度事実である程度事実ではありません。作者の人は、無意識に考えている。それを他人が言語化してくれて、なるほどねと思う。少なくとも私の場合はそうです。まあ、あえて小説という形をとっているわけだから、さもありなんですね。人の人格とか性格についてただ考えたいだけなら、なんかもうそういう論文でも書いたらいいわけだし。○○はこれこれこういう意見を持っていて、これこれこういう思想で、だからこういう行動をして……と書いてあってもつまらんでしょ、それは、小説として。

・菜月は私の鬱と不眠を受け継ぎました。前も言ったけど、菜月から衝動を抜いたら姫になって、菜月から共感を抜いたらシモーネになる、そしてその集合の外側にエイミーがいる、そういう感じがあります。そういう三角関係+アルファを中心に書いていました。と、いまとなっては考えることができます。それが想定したものではなかったのは、「キャラクター設定表がない」で説明が付くと思います。結果としてそうなっただけ。

・話が逸れたな。菜月が私の鬱と不眠を受け継いだということについて書きたい。私は本当に最初は、きらっきらの魔法少女ものが書きたかった。菜月のために用意していたせりふはついぞ使われませんでした。あの子は作者の予想を全部無視しています。まあ強い女の子だからね。

・自己投影とかではない。自伝でもないのに自己投影するのは恥ずかしい。ウェブにはそういう小説がありふれているけれども、でも菜月と私はかなり違う。私は菜月みたいになりたいと思わないし、菜月も同様だと思います。菜月は私を恨んでいる。でもその時私に書けるヒロインは、そういう姿でしか有り得ませんでした。菜月の憂鬱を言語化するのに、かなり私の憂鬱が手助けになった、というそれだけの話な気がします。菜月が語る自殺への衝動は、もちろん私が抱いているものでした。同じように感じている人が同じように共感してくれることも望んでいたし、自殺なんて考えたこともない読者が「そういうものかな」と思ってくれたらいいなとも思っていました。

・器用故に自分の精神を犠牲にしているキャラクターは、私がよく書くキャラクターかもしれません。まあ、これはなんかシンパシー的なやつなんでしょう。「自分より幸せなキャラクターは書けない」と常々思います。自分より頭のいいキャラは書けないとよく言われますが、これは嘘です。私はリリーより頭が悪い。

・My Magic!は、二部の途中から明らかに読者が減り始めました。これも当然のことです。ここは私が「狂え」と自分自身に命令していた。即興劇しかできないなら、それを全力でやれと、その時の自分に全て託しました。舞台と道具は揃っていたから。結果として「百合」の要素が減って、たぶんそれを楽しみにしてくれてた人が読むのをやめたんでしょう。でも重要なのは、その人たちが百合だけは楽しんでくれたということです。

・結果として私には、というかMMには、ファンタジーか、あるいは文学が好きな読者さんだけが残りました。最後まで応援してくれるのがやっぱり一番嬉しいけれど、途中まで応援してくれたのもやっぱり、それはそれで嬉しいです。

・だからね、ほんとは、あんまりタグを付けたくないんですよ。でも読んでもらうためには仕方がない。私は別にMMを百合作品とか、ファンタジーとか、そういう器に閉じ込めたいわけではなかったから。

・だって、店頭に並んでいる本には、タグなんか付いてないでしょ。それなのにあらすじとタイトルと装丁で手を取って、読むじゃん。ふつうはそうあるべきかな、と思うわけです。私は読者の方々に一定の嘘を吐いていた。百合はたしかにあったけれども、それがテーマではなかった。My Magic!は、当たり前のように女の子と女の子が身体を重ね合わせるけど、「女同士なんて」という言葉は一切出ないし、そこはテーマではありません。

・おこがましい解釈ではありますが、私はこの作品をツァラトゥストラの小説版だと思っています。ニーチェの思想とか、ヴェイユの思想とか、際限なく詰め込みました。体系は難しいし、かといってシオランのように断章もできませんからね。私には長編が向いていたわけです。小説の形で思想を書くというのは、まあそんなに苦労しなかった。物語の中にはたくさん選択肢があって、なにを選ぶかは本人たちに任せていました。

・これは私の小説を読んでくださる方にはそれなりに驚かれることが多いのですが、私はまるでキャラクターのことを理解していません。こっちが解釈をすることすらあります。この時この子はなんでこういう事をしたんですか? と聞かれて、言い淀むのが常です。特に昨年から書いている公募の作品には友人からそういう指摘がありましたね。ただ私っぽさは出ている、という感想も貰いました。一部の文章は美星の声で再生されると。

・自分のこともろくに理解していないのに、その自分から出てくるキャラクターのことなど理解できるものではないのかも。

みんながウィル・スミスを話題にしなくなって何日経った?

 ウィル・スミスの平手打ちが私たちに圧倒的な問題提起を爆発させたのは、ひとえに「知的な暴力に対する原始的暴力」が許されるかどうか、という点にあり、そしてやはりこれについて答えが出せないから、ということにある。

 答えが明瞭な事件に対して、人は語る必要がない。不明瞭だから話題として大きくなったし、ああだこうだ言う人がたくさん現れたわけである。

「まさか暴力なんて許されてたまるか」という、私たちが幼い頃から培ってきた倫理観と、では「知的な横暴に対してどう振る舞えばよいのだ」という反骨精神が、このしゃかりきな議論を引き起こしたし、事件として格好の的となったわけである。

 そうしてこういう、不正同士の倫理と倫理の対決は、往々にして決着が付かないし、付いてたまるかとも思う。これは道徳の戦争であって、和平のない戦争である。

 私のスタンスを申し上げるとするなら、これは実に簡単なものだったと思う。つまり、ウィル・スミスは殴る権利があったし、例の司会者は殴られる権利があった。いや、権利というよりは義務というのが近いかもしれない。権利というのは「あそこでなにもせず口を噤むこと」だ。それは義務ではない。

 私がこの議論で我慢ならなかったのは、決着が付いてしまったように思われ始めた瞬間である。つまり、「この件に決着が付かないのは、アメリカと日本の間に文化的な差異があって、どうやら仕方がないから」というような記事が流行って、みんながそこに落ち着こうとした瞬間である。私はその瞬間に、全員地獄へ堕ちろと思った。

「文化的な差異」だと? まさか道徳の結末がこんなに単純な理路で収まろうとするなんて思ってもいなかったし、そんなことで納得するなら最初からお前らは問題になんかするなよ、と思った。心の底から思った。そういう文化的差異を埋めようとするのが、私たちの道徳という目的ではなかったのか。事情の異なる他者を集めて、それで上手いこと共同体を作っていこうというのが、倫理じゃないのか。そうじゃないならなんなんだ。

 黒人だ白人だなどの歴史的影響なんか知ったことではない。それはそれ、これはこれだ。それはそれ、これはこれだし、しかも、この「文化的差異」が話題になった途端、みんながみんな刀を鞘に納めたのが、私にはまるで不可思議だった。

 事実あったとしよう。たとえば本当にそういう歴史的差異があったとして、日米間には埋まらない価値観があったとしよう。しかし、それがあったところで、当初の議題である「知的な暴力に対する原始的暴力が許されるかどうか」の答えには全く至っていないではないか。なぜそこでやめたのか。納得して頷いて帰っていったのか。言論だなんだといって、彼らは所詮パトカーと救急車が集まっているのを見つけて寄ってきたゴミみたいな野次馬だったんだ。  そんなことなら最初から議論の振りをするな。中途半端なところで決着も付いていないのに付いた感じになった途端どうでもよくなるくらいならなにも言うなよ。

ゴキブリ連盟 SS

 『ゴキブリ連盟』というのが私たち四人のグループ名だった。週に一度集まって、いちばん大きいゴキブリをつらまえて来た人の勝ちである。

 ある日、Sが親指程度の大きさしかない真っ黒なのを見つけてきた。他の三人のに比べれば全長は半分未満しかなかったし、チャバネにもクロにも敵わなかったが、三人の耳目は、そのダンゴムシにも似た様相に集まっていた。

「これ、大きくないよね?」
「ううん、大きかった」
「いや、小さいよね? よく見て、他の人の」
「ううん、これが一番大きい。山に入って三日かけて探した」

 私たちはSが一歩も引かないので辟易した。なにをどう見たって、もっとも小さいゴキブリである。その日を境にゴキブリ連盟は解散した。ここまで価値観が違うとやっていけないと判断されたからである。

 ということを、10年経ったいま不意に思い出して、ああアレは確かに大きかったと思った。私は小学生の頃に買い込んだ図鑑に手を伸ばして、みんなが避けて通るページを開いた。

 Sが持ってきたのは、絶滅危惧種だったので図鑑に大きく載っていたし、専用のコラムまで用意されていた。しかも名前に「オオ」が付く「オオゴキブリ」なので、たしかにどんなゴキブリより大きかったのだが、私たちゴキブリ連盟は誰もそれに気が付けなかったのである。

 切実な後悔をした。あの日、Sを優勝にしておけば、ゴキブリ連盟は永遠に不滅だったのに、彼女の価値と視野を見誤ったせいで、私たちは解散してしまったのだ。

 みなさん、オオゴキブリは、もうすぐ絶滅してしまいます。森林を、大切に守ってください。あと、友人も大切にしてください。