天啓観測

Hi zombies!

産んだら一生後悔しろ


 子供を産んで大人になるとするならば、私はすべての子供の味方で、すべての大人の敵である。

 場合によっては八十歳の子供もいるだろうけれど、私はそれの味方です。そして十四歳の大人の敵です。

 聞くところによれば、母親には私の前に、一度妊娠の経験があったらしいじゃないですか。私は長子ですから、要は、母親には堕胎の経験があったわけですが、理由を聞いてみると「まだ遊びたかったから」らしい。

 やけに気になって、それが男児だったか女児だったか聞いたが、それは分からないと言う。つまり、かなり早い段階で堕胎を決意したというわけですね。

 さて、母親があと数年くらいは「まだ遊びたい」という状態でいてくれたなら、私は生まれてこなかったし、こんな文章を書く必要もなかった。母親も腹を痛めて産んだ子に、こんな文章を書かれる必要もなかった。

 私はよく、その堕とされた兄だか姉だかのことを考える。その人は生まれていないから、私のことを知らない。私は生まれたから、その人のことを知っている。そしてそういうお互いの幸福。別にスピリチュアルな話をしているわけじゃないですが、私はなんだかよく、その兄か姉かが背中に乗っているような気がするんですよ。だってそうじゃないか。妹を見ても、弟を見ても、楽天的で、こんな文を書く血の繋がりは、私にはひとつもない。

 私は誰にも教えられずに、たったひとりでこういう人間になったのか? まさか。私の人生は常に、生まれる前に死んだ人との二乗である。

 性行為の三秒。どんな過程があったにせよ、その三秒のために身を捩って、八十年の地獄が生み出される。あるいは、人は八十年の苦悶に耐えられず、三秒の快楽に逃げるのかもしれない。

 気色が悪いとはこのことだ。二度と異性と性行為などするものかと思う。どんな瞬間にも「これは子供を作る行為だ」と思うと、機械的で物質的で、面白みのなく気味悪いものだと思える。

 生存本能、生殖本能、誰に教えてもらったんだ? 君たちの遺伝子に刻み込まれた掃き溜めの一部がそれだ。掃き溜めの一部から、美しい子供が生み出されて、それで汚れて死んでいくのだ。

 産むなよ、産むな。絶対に産むな。

 期待していますよ、読者諸兄姉。あなたたちにはずっと子供でいて欲しい。でなきゃ私の敵になってしまうから。

 そしてすべての子供の敵だ。産んだなら産んだで一生後悔しろ。子供に愛されようなんて思うなよ。あなたは端から端までその子の敵だ。神に跪くみたいに人生の全部を捧げて、自分の幸福など二度と願うな。子供の幸福と、そして愛することだけやれ。敵の身分で愛されようと思うなよ。それが唯一の贖罪なんだから。

原神、男キャラえっち度tier表について


 原神は断じてえっちなゲームではありません。健全かつ重厚なストーリー、深掘りされたキャラクター設定と、洗練されたファンタジーゲームであり、自由なオープンワールドゲームである奥深い全年齢用きらきらゲームです。




 たがニーチェも言うように、世界は見るものの世界によって見られる。豚には豚のように世界が、水晶には水晶の世界が。すけべにはすけべの世界が見える。私はすけべなので、原神も時にすけベに見える訳である。

tier1
ウェンティ
 その可愛さで神様は無理でしょ。紛うことなきえっち。可愛い上にち○ち○が付いているのはかなりお得ですごいです。原神公式連載の漫画では、ウェンティがものすっごいえっちな格好をしているので、ぜひご覧下さい。

神里綾人
 長身男キャラの中ではもっともえっち。長身水色髪細身男でありながら、タピオカドリンク大好きな子供らしい一面を秘めている。また、奉行所の当主であり、妹を持つ責任の立場にあり、母を失うなど幸の薄さもとりわけたところにいる。こういう人はいざという時のえろさがとんでもないので、この位置にいます。


ガイア
 褐色長身男。氷元素の冷え冷えとした空気を纏っているが、たぶんレディースの香水を付けている。



tier2
レザー
 えっち。崖を登る時の声がせくしーです。狼に育てられたということもあって性の知識に乏しく、発情期には無言でもじもじしていそうでかわいい。どうしたの?と言いながら頭を撫でてあげると満足したような顔をするが、どうしてそれで完全に満足できないのか分からなくて困惑していそう。私はそれに気付きながら無視したい。


タルタリヤ
 そらそう。

楓原万葉
 あまりえっちなイメージはないが、年頃の男の子であり、愛に飢えた人生を送っている。浪人の立場である点も、背徳感を誘って、かなりいい。あと推しです。


tier3
ディルック
 tier2に入るポテンシャルは秘めているが、バーテンダーということもあって、お酒に強そうなのが難点。なかなかえっちに籠絡しにくいという事情があり、T3に置かれると思います。髪をほどいた時のディルックはT1に入ってもおかしくありません。


鍾離
 えっちというには高貴すぎるし、えっちということのなにがなんなのか、本人がまるで分かっていない。せっかくのビジュアルだが、この位置です。胡桃のヒモだという点でも、私の嫉妬を買っています。


tier4
アルベド、魈
 この二人はあまりに真面目すぎるので、なかなかえっちとは結び付かないかもしれません。けどその真面目を崩した時の可能性は大いなるものを秘めていると思います。

愛!


雨の日に落ちていたから拾ったの

砂金を集める

最初からゆめとしりせば

一緒に死にましょう

霊柩車で永遠のドライブを、高温の紅茶を

道端の花に微笑むとか、そういう可愛いことをしにいきませんか、週末

滅相もない!

晴れたからコンビニに傘を忘れてきた

晴れたので置いていかれた

ずっと降っていてほしいね、星!

砂漠そのままひっくり返して?

かかとくった?

さあ、五線譜だけ用意しました

弾いてみて。どヘタね。

本当にあの人が数奇ね。

飛べ! 飛んで、空中で一回転して、そのまま田んぼにずどーん。

下半身は汚れたけど、飛沫があがって綺麗でした

下半身は汚れたけど

どうして、わざわざ、各駅停車なんですか

なんで、いっつも、傘忘れるんですか

左肩濡れてるよ、両足はもっと濡れている

砂漠が降ってきた。やたらに煌びやか。

口に入った。さそりだ。

おいしいね。

そうだね

なぜ?

愛!

原神どハマり記録 オープンワールドが苦手編

 そもそもなぜ私が原神をやる気になったかといえば、それらひとえに胡桃(ふーたお)というどちゃどちゃに最高キュートのキャラクターに出会ってしまったらである。


 しいたけ目にいじらしい仕草。赤茶の髪に長いツインテール。愛らしいウインクと表情。大きな帽子。ひらひら踊る衣装。CVは高橋李依。どこを取っても素敵な女の子。こんなに可愛い子がいるのに、なんでいままでやってなかったわけ!? 実際、胡桃の実装は一年以上前に遡る。私は原神のキャラクターデザインに一目置いていたので、知らないはずがなかったし、知っていた。「くるみちゃん……?」名前はくるみとしか読めなかったが、でも可愛いのは知ってた。原神は可愛いキャラとかっこいいキャラしかいないし、なにより私は普通にリリース日にインストールをしていた。ではなぜやらなかったのか。

 オープンワールドが苦手だったのである。

 美星のゲーム遍歴といえば、ドラゴンクエスト、FFのRPG任天堂のわいわいゲーム、そしてシューティング。求められたことをやっていればいい、やることもそんなに多くない。行くべき場所がはっきりしていて、やるべきこともはっきりしている。見えない壁に阻まれながらプレイするのが私のゲームのやり方であって、Skyrimとかfalloutとか、興味はあるのに全部買って多少プレイして「合わねえな」と積んできた。

 問題が生じ始めたのはここ数年である。オープンワールドゲームが当たり前の世界になったのだ。シリーズ通して一本道と揶揄されてきた日本のRPGも、オープンワールドに方足を踏み入れるようになってきた。そして私は別に、オープンワールドが苦手なだけで嫌いだったわけじゃない。なんというかやることが多いと集中できんのである。道にクエストあればクリアせずには先に進めない。ポケモンはその草むらで出る全部のポケモンの図鑑を埋めなければ進まない。そういうことばかりしてきた。そしてポケモンアルセウスの発売である。私は例によってやること全てをやろうとして、挫折した。

「やるべきことを絞って、優先順位を立てよう……」

 気付いた。私は気づいたのである。なにも全部やらなくていいんだ。ゲームだから、やりてえことだけやったらいいんだ。クエストも無視したいときはとりあえず無視して、時間のある時に「今日はサブクエだけやろっかな」と向き合えばいいのだ。こうして私はやっと、オープンワールド音痴を脱したのである。

 さらに気付いた。私はだから、原神をやらなかったんだ。原神も同じだ。やることばっかで覚えることも多くて大変だけど、やりたいことやってついでみたいに覚えていけばいいんだ。私の目の前にあることにとりあえず集中してしまう癖は、人生において割かし役に立つことも多かったが、一方で取捨選択のできなさがかなり足を引っ張ってきた。それが克服されたのである。

 そして満を持して原神を始めた。どハマりした。実際、原神もやれることが多く(この「やるべきこと」を「やれること」に言い換えられるようになったのもまた成長である)、道を歩けばクエスト、町を出れば大量の敵とステージギミック。コレクティング要素にキャラクター育成。武器育成、素材集め、キャラクター用の装備育成、そしてストーリー。なにから手を付けたらいいんだ……というのはもう迷わなかった。ストーリーである。だが原神はそのストーリーも多い。大筋の本編に加えて本編を味付けするサイドストーリー。キャラごとのストーリーもあるし全然知らんモブにも背景がある。話しかけたら五行は話すくらいのストーリーがある。

「大筋のストーリーだ……大筋のストーリーに集中しろ……そしてそれが阻まれた時に他に手を出すんだ……」

 言い聞かせたら早かった。複数のキャラが絡む壮大かつ繊細なストーリー、絡まる個人の思惑や、国や機関の思想のぶつかり合い。重厚なファンタジーと綿密な設定が活き活きと描かれている。

 ストーリーを愛せばゲームも愛せる。いつしか私は戸惑うシステムをYouTubeの解説動画で勉強するようになった。原神は特にキャラクターの育成周りが複雑で、一人のキャラクターをいかようにも使うことができる。ポケモンでいうと特殊アタッカーと物理アタッカー、受けにするかどうするかで悩むといったところである。ドラゴンクエストでいうとビアンカとフローラで悩むといったところである。(小学生のときはむっつりスケベだったのでフローラを選びましたが、大人になって再プレイしたときは普通のスケベになっていたのでビアンカを選びました)。

 そういった煩雑なことにも尻込みしなくなっていったので、この1ヶ月間は原神に捧げられたわけである。なんかめちゃくちゃ長くなっちゃったけどしたい話がたくさんあるので分けます。

優しくって、親切である、人のためのバイブル


もし、あなたが、優しくて、親切である、ということを、自覚していて、あまつさえそれをアイデンティティとして「プラス」に捉えているのだとしたら、それは、徹底してそうあるか、徹底してそれをやめるか、のどちらかに進むしかない。

優しさは他者に対する「許し」である。親切をして与えられる侵害をそっくりそのまま受け入れる、ということに他ならない。人は人の優しさにびっくりするほど付け上がる、ということを、本能的に理解していないとならない。そして、一度他人に優しくしたら、二度と優しくしないことができない。たぶん、優しい人はそれに耐えられない。

他人の視線が怖い人は優しい。しかしその場合、その優しさは「自分を守るための優しさ」だと自覚しなければならない。つまり、優しくすることで他人からよく見られて、それで悪態をつかれないということを得ようとしている。が、優しくしたことで受ける侵害と、優しくしないことで受ける侵害の、どちらが重いか。それを一旦考えてみてほしい。

それでも親切でありたい時、それが自分を守るためでなく、本当に他人を愛している時にするとき、は、他人のための、ふかふかのベッドであろうとするのをやめたらいい。もし他人の寝床でありたいなら、野営用の、藁のベッドとして振る舞う。愛は同情を超える。

美星芸術論Ⅰ 退廃概略


 私が芸術において意識しているのは常にその芸術が頂点ではなくどん底を目指しているような退廃的世界観であって、私の書く文章は常にそこを目的としている節がある。しかしどのようにして退廃が行われるかというと難しい。退廃は、進歩なしでは始まらないわけである。

 私がよくやるのは、世間で言われている逆をそのまま言う、ということである。世間で言われている、嫌いな、綺麗な言葉を攻撃対象とする。世界は一歩ずつ前に進もうとするのが自然な態度であるから、それに反旗を翻すのは実に対義語たる退廃の手段といえる。
 たとえば「綺麗な薔薇には刺がある」という言葉を見たら、すぐに「汚い棘には薔薇がある」と変換する。この瞬間、絢爛な薔薇という誰もが好きな主体から、それの有する鋭い棘にピントが合うわけである。

「生きているだけで偉い」とかいうようなごみっかすの意見を見つけたら、「死んだら偉くない」というのが私の言葉の遊び方であるわけだ。

 だがこういう言葉遊びには弱点があって、つまり「逆張りの潮流に乗っかる」点と「あるいは正の言葉の補強となってしまう」点がそれである。後者から説明すると、『千里の道も一歩から』という箴言を見つけて『一歩目なしに千里なし』と言ってはいけない。それを言った瞬間に「一歩目を進め」という強いメッセージが帯びてしまったからだ。これは進歩であり退廃とは程遠い概念である。『千里の道も一歩から』と言われたら『二度と歩くな』と書くのが、私の中では正しい。

 そして我慢ならないのは前者の「逆張りの潮流に乗っかる」ことである。前に進む流れがあれば、同じ数の後ろに進む流れがある。進む方向は違えども、進んでいる時点でそれは進歩だ。流行りもの好きと流行りもの嫌いが世の中にはいる、と言えば伝わりやすいだろう。退廃は、その二つの大きな潮流の中でじっと佇むことだ。

「家族を大切にしましょう」を見つけたら「家族なんか血の繋がっただけの他人だ」と言う人がいて、それはちょうど天秤で釣り合うくらい同じ数がいる。私たち退廃主義者ははなにをすべきか。簡単なことである。



 ''その場に至っては、もはやなにも言わない''