天啓観測

Hi zombies!

色は匂へど散りぬるを


青、青、青、青、青、色、い。

い、ろ、は、に、ほ、へ、と、ち、り、ぬ、る、を。を、を、を、と、が、す、る。音がする。鉄の甲板に鉄の棒を叩き付けた音とそれでひび割れる私の腕の中の衝動。衝撃、衝撃、衝撃をください。わ、か、よ、た、れ、そ、つ、ね、な、ら、ん、んーっ! んー!!!(コロシテ……!)んんーーー!(気付いて……!)

 そして誰も気付かなかった。誰も気付かんわけですよ。口を縫われたやつの声なんか、さっきの残響で掻き消されたままです。まま! 赤ちゃんが可哀想だと思いまーす。あいつの道徳の成績は5だ。道徳の成績が高ければ高いほど、空は濁って見えるらしい。それもそのはず、道徳とは地上に目をやることだから。地上波初同情の新作ゲーム、あいつの道徳の成績は5。そして皆勤賞を貰うことだけがアイデンティティだ。お利口になって道徳5と皆勤賞を目指せ! 4/25(日)に日本日替わり定食屋にて日没後発売――――ああ、なんだ雪か。お腹が空いた。レタスが乾いてる。潤いを与えるためにマヨネーズがあるらしい。

 じゃあさあ、1+1って、2? いいや、1+1は1+1だね。あいつの数学の成績は5。1+1+1+1+1。とてもかっこいい。「絶対理系の方がいいってー!」「えーそうかなー?」「時代は理系らしいよ~」「うそお、政治家って全員文系なのにー?」 政治家は全員文系らしい。「この時の国民の気持ちを考えよ」という課題を解く文学の奴隷。

「ねね、愛してる?」「えー、そうであると言ってしまうとですね、ほかさまざまな問題、ありますから、はっきりと申し上げることはできないわけですが、現時点では、関係各所に対し、確認の指示を出し、立派な門構えですね~……門構えの中に一番入っていてほしい部首ナンバーワンを決めたいんだよ」「……………………音」。音がする。

ミニミ
  二三二
     二ソジシ

こういう音が。さっきの音のことはもういいのかい? いいんです。どうせ振り向いちゃ貰えませんもの。君のそういう諦めが、彼を助長させるんじゃないのかね。分かりませんわ、そんなこと。なんとでも言えるじゃありませんか。男の人は、そうやってすぐに、空っぽな理屈で議論したがるから厭ですわ。厭です。いやですというかダメです。会話の優生思想。

 はーい、出席取るぞ。イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、あなたの選んだカードは、ハートの9ですね? え、すごーい当たってなあい。そう、種も仕掛けもないとはこういうことだ。私はそうやって生きている。なにかすごいことをしでかすぞと期待されているが、種も仕掛けもないのでしでかせない。買いかぶるな。すぐ買いかぶるじゃないか。すぐ。期待してくれなどと誰も頼んでないのに、次に口を開けば期待外れか。マジシャンがいまから手品を見せますといつ言ったのか。最初からハートの9と言うつもりで、為せば成ると思っていたのではないか。それなのに君たちは君たちがなんとなく覚えてきたことで、マジシャンがなにか宣言をしたら「それは当たる」と思い込んでいるね? すごい自信だな。他者に対するものすごい自信。どうやったらそんなに図々しくいられるのか、私の耳元で優しく囁いて欲しい。道徳ASMR――道徳咀嚼音ASMR――同人音声の中じゃいつだって私はご主人様だ。へつらうな、へつらうな、それはメイドの仕事じゃない。メイドの仕事から離れてしまうと、それはもうコスプレなんだ。ただ横で花をいけていてくれ。洗濯を畳んでいてくれ。月末には給料を振り込む。メイドがなぜ恋心で、ただで働いてくれると思っているんだ。ああ、それもあれだね? あなたたちはまた勝手に期待している。ギター弾けるの、なんか弾いて、ピアノ弾けるの、なんか弾いて、絵描けるの、なんか描いてよ、メイドさんなの、ちょっとこっちおいでよ。だめだよ、それは業務じゃない。私の業務とはなんなのか。大抵のことが業務外のままだ。それは私の仕事じゃないな、と、万物に対して思っている。衰退が私の仕事なら――

早く給料を振り込んでくれ

【悲報】謎の病気になる

 いつも通り寝るべき時間に睡眠薬を飲んで、四時間くらい寝たあと……そう、私が並々ならぬ吐き気にねっとりと起こされ見た時計は5時を差していた……。

「これは吐く、吐ける」というのを長年のストレス生活と酒豪により身体で覚えていた。私は、堪えるのも待たずトイレに駆け込み、これでもかというくらい吐いた――ご存知かと思いますが、私は嘔吐するとき虹と星屑を吐きます。みなさんが想像するような光景ではないので、安心してお読みください。

 最後にけほっと小花を吐き出して「くそだりいな」と思いながら水を飲むと甘い。水を飲むと甘いのなんかアルコールをひたすら飲んだ次の日くらいなもんだと思っていたけれど、残念かなそんな単純な話ならよく、私はアルコールなんかここ数ヶ月は摂取していないし、当然今日もしていない。ウイスキーボンボンすら食べていない。医者に飲むなと言われているから……

 ということはつまりなんだ。と思いながら吐いた分を取り戻すように水を飲んだら、その分吐いた。調べたら吐いたあとは30分くらい胃に物を入れない方がいい。知るかと思ってまた飲んで、吐いた。抗うつ剤の副作用の対処で貰っていた吐き気止めごと吐いた。虹と星屑と共に。私の「吐く」を「虹く」と表現してもいい。字面も似てるし悪かない。でも星が可哀想だからやめよう。


 そこから先は悪心とねずみが這い回っているような腹部の不快感とのおどろおどろしい戦い。色のない目で布団に潜りながら、自分の指紋を片方の指でなぞり続けていた。腹が減った。腹は減るのか、と思った。食欲はあるのだ。食欲? 食欲! そう、昨日の食欲はやばかった。主菜副菜きちんと食べ、炭水化物も取った後に勘定中の胃袋を無視してマックのセットを食べた。……これか? 原因は暴食か……? とはいえ暴食で吐き気ってなるの? と思って調べたら「過食嘔吐」の話しか出てこない。別に指突っ込んで吐きたくて吐いてるんじゃないんだと思いつつ、そういや腹の調子が悪いとか言ってる奴と最近会ったなとか思い返すと、どうやら胃腸炎かもしれん。しかし「Never google your symptoms」と言う。あまり参考にはできない。だが症状的に何度かやったことがある感覚がしたので、胃腸炎の可能性が高いだろう。


『ところでみなさん知ってますか? 胃腸炎の攻略法。胃腸炎はものすごい嘔吐をしますが、これは自然な作用。無理に止めるのは良くないけれど、吐くのは不快。そういうときは寒天とかゼリー、果物を食べるといいんです! 吐瀉物の味がまともになるから。』


 そのまま眠れず、どうにか腹になにか拵えなければと思って、だるい身体引きずってコンビニでポカリと(ウイダー)in ゼリーを買う。身体がビタミンを欲してる感覚がしていた。深夜勤務の戸塚(仮名)は朝まで働いてるのか、こいつは接客態度がなかなかしょうもないが、頑張っているんだな……と考えつつ購入する。私は膝が痛いことに気が付く。足も重いし、心無しか頭も痛い。いや、これはよくない。インフルエンザの症状に似ている。でも頭が痛いのはいつものことだし、足が重いのは昨日筋トレしたからかもしれん。そこははっきりしない。あるいは無限に吐いた故の脱水症状かもしれぬし、抜けきってない睡眠剤かもしれん。

 そう考えながら(ウイダー)in ゼリーを飲みつつ、布団に潜る。暑い。いやに暑いな。多少寒気もある。しかし発汗がないから熱はないはずだ。そうして7:30頃熱を測る。37.2。安心した。私は平熱が36.8を前後するので、仮に熱としても酷くない。暑さがいよいよ増してきた。でも発汗がないのですよ。8:00、熱を測る。37.7だった。ばか。ばか、と言わざるを得ない。なにがばかだ、私か? 身体か? 暴食か? 原因は暴食とも限らないが?

 咳はない。くしゃみもない。鼻も垂れぬし、風邪らしい症状はひとつもない。喉の痛みを感じるが、これは吐いてからだから、虹のこう、なに、酸性にやられているだけだと思う。虹は酸性なのか。分からん。星屑のトゲかもしれん。そしてだいぶよくなってきた。よくなってきてないのにこんな文章書けないから、ましだ。

 今日は御社の一次選考である。ふざけるな。なんで私はこうなんだ。

ツイートにしておくにはもったいないツイートを集めぽよ 4

「人はそんなに人のことを見ていないのだから、他人の視線など気にするなという言説にはいくつか意見があるけれども、というのも「私は人をよく見ている」し、「なぜ見ていないのか、もっとよく見ろ」と思うからである。」

「自己嫌悪とナルシシズムの同居、自己肯定感の低さと自信過剰の同居」

「当然のことだ。我々は社会にあって実存を知り、実存にあって社会にあるのだから」

 

「傍聴席の笑いを取る類の被告人に似ているということは、それは罪を告白する場に立たされたり崖際に追い詰められたりした時にようやく本領を発揮するようなことであり、世界に対するアイロニー、醜い防衛本能に溢れている人種であるということである。私は大概そういう類型に属している。鬱の酷いということは割とそういう最後の場にいることのように思えるけれども、どちらかといえばどこに立っているかも分からない状態だったような気がする。死の間際にいるんだけれども、死の間際にいるとは思わず死の観念に覆い尽くされていた。薬を飲んでようやく分かった」

 

「笑い話を期待されて「なにか面白い話をして」と言われた時に私は当たり前のように「博愛主義ってのはもはや誰も愛さないということに似ていると思うんですけど」とか「共産主義を復活させたいんですが」みたいなことを話し始めるし、それでヨイショ!って乗ってくるやつも私の周りにはそれなりにいる。たぶん「お、また始まったぞw」感でウケてるんだろうけど、それにしてはみんな往々にして姿勢を正すのでおもしろい。」

 

「鬱はあんまり公言できないししない方がなんならいいだろうという大方の世論に対して、私は全然めちゃくちゃ「鬱なので遅刻します」とか「鬱なので締切守れないです」「今日は機嫌が良くないです、鬱なので」などの言い訳に使いまくっている。」

 

「私たちが後生大事に抱き抱えて愛してきた財産や健康、家具やペットや恋人は、疫病や戦争というリアリズムに常に逆らい得ないし、硝子細工ほどの硬度も価値もなくなる。安全な場所でプラカードを掲げていられるのも、帰りゃエアコンとテレビとスマホとベッドがあるからだな。」

 

くそロシアが教えてくれるのは、このばか平和な世界でも、案外戦争をしたって見過ごされるのだということと、平和を守るためなら平和な態度を取るのがどうやら一番賢いかもしれんということだ。みんなが徹頭徹尾馬鹿なふりをしていることに私は尊敬すらできる。そうだよな、少しでも考えたら、誰だってロシア人の大統領になったらウクライナに侵攻せねばならなくて、ウクライナ人もまたロシア人を殺さにゃならんということに行き着いてしまうもんな。」

 

「いや、私は知ってるんだよ。みんなが東欧や中東のことを、ワールドカップの日本対ブラジルを見るのと似た気持ちで見てることを。」

 

 

「みんな違ってみんなダメ。ゴミ。ざこ。血反吐。」

 

 

「私はいつまでツイッターをやっておるのだ。お前らもいつまでツイッターをやっている。死ぬまでそうしているつもりか。そうだ。」

 

「せめて一日一回は悲しくなってみたらどうだね」

 

「正常な人間は忘却するのだ。深い睡眠で。「その話前も聞いた」と言うと「話したっけ」というのが通常人の態度なのだ。」

 

「走れ! 地球より速く!」

「神よあれをあれしたまえ、アーメン」

 

「日記は割かし無心で書くが、昨日今日のは「他人の集合写真を見てふと思ったのは、私は写真を撮ることはあっても人に撮られることはそうない。私は社会の幽霊なのです。」「骨を折って強がりで『ちょうど折りたかったところなのだ』というのが私の人生なのです。」等書いてあってめちゃくちゃいい。」

「日記のいいセンテンス→「まあ恋は舐め合いですけれども。相手の尊厳をいかに踏みにじり、自分の居場所を作るかという、浅ましい知性の殴り合いです」「12時間寝ました、最高であり最悪の気分です。誠実たる後悔です」「くたばれ労働!」「地球より速く走って、夜と冬を追いかけたいです」」

 

「謎の衝動に突き動かされて、たまたま無能の社員と二人になったから、辞めると言おうかと思ったが、今の私の行為にはなんら信用性がないし、辞めると生活が出来なくて首を括るしかないしで、結局非常階段で煙草を吸って、夜はもう寒くないのかと思いながら帰った。」

 

「私は君たち人間のことが全く好きではないけれども、それでも喜ばせてあげたいとは思うよ。」

 

「このまま人類で少子化を進めて滅亡していくことは反出生主義者の一目標だが、根幹の理由に「苦痛の無化」があるとするならば、滅亡前の最後の人類の苦難を無視することもまたできないはずであり、また反出生という聡明な思想が生存バイアスによって霧散する可能性もあるわけである。」

 

「L'Azur!」

 

「教養のない人」呼ばわりでディスを行うことは可能で、それを単に「ばか」と呼ぶのがなぜ許されないのか、Twitterでは誰も論理的に教えてくれない。」

 

恋愛論や悲観論に関する私の箴言が、そりゃお前がそういう恋愛をしてきただけだろと批判を受けても、そりゃそうだろとかしか言えん。なぜ私が私以外の人間の認知で語らねばならないのか。」

「私は孤独でありたいけれど常に孤独ではないし、誰も放っておいてくれないので人々の意見もよく傾聴して黙って頷いているけれど、それだけ人の話を聞いたのに大抵魅了されないのなら、私の世界の方がよほど美しいということに他ならんだろう。下卑た迎合をする気も、あるいはされる気もない。」

「星は好きだが星座を探したくはない、覚えたくもない」

 

「祈らずんば呪え」

「呪わずんば祈れ。我々がリアリズムに対してできるのはそれくらいである」

 

「我々はもしかしたら全員去勢すべきではないか」

 

「失恋が恋愛という病的現象において一番かわいい。いままで全身全霊で死ぬほど愛した人のことが翻って最も恨めしくなるなんて最高にキュートじゃないか」

「必死に生きてきたのに最後にはみんな死ぬという事実が音楽と恋愛では疑似体験できる。」

 

滅びろ世界」

 

 

ゾンビ批判 1

 あいつもこいつも、「ゾンビにしては」良かった。この「ゾンビにしては」というのを大切に抱いているべきである。

 私があなたたちをゾンビだと思うのと同じで、あなたたちも私をゾンビとして見てくれればと思うのだけれど、厄介な期待を授けられているのはどうしてなのか。私はゾンビに好かれたくない。好かれたら好いてしまうから。

 ゾンビというのは、良い、悪い、を仲間内で決め、法律として運用することに疑問を抱かないどころか、むしろ悦楽を得る趣味の一種かなにかだと思っている。

 私がゾンビという言葉を使う時、単に大衆のことであると解釈されるのは必ずしも気持ちいいものではないが、だからといって絶対的に異にするわけでもない。大衆もまた私が嫌いなものの一つなのだし、少なくとも私の言うゾンビが分からない人には、そう思ってもらえるのがいいのではないかな。

 物事は全て関連し合っている。なにか小さなことが欠けてさえなにかが大きな変化をするし、加わってもなお同様である。その事は、人の精神や人格についても全く同じことが言えるのであり、つまり、あなたが誰かを好意的に評価したその事は、あなたがその人を嫌悪したとある事情によって作られているのではないか、ということを考えるべきである。
 たとえば極端な例ではあるけれど、あなたが「ユーモアのある人」と評価したその人が人殺しだった時、「ユーモアがあるのに人殺し」だと思うだろうけれど、残念ながらそうではない。「人殺し」だから「ユーモアがある」し「ユーモアがある」から「人殺し」なのである、と想像しなければならない。もちろん、この理屈には罠があるので、聡明なゾンビたちには避けてもらわねば困る。すなわち、対極にあるものが相互に関連しあっている、という話ではないし、人殺しはユーモアがあるという話でもない(あえて喚起することではないと思いたい)。

 コンサートのソロパートの後、観客はただ慣習だけで拍手を送るが、演奏家はそれを一手に自分への賞賛だと思って受け取る。私はそういうのを残酷だと思わない人々に怯えている。

 そういう、相手の感情度外視の、親切と定義されている親切を投げかけるだけで人としての活動が上手くいっていると思っているゾンビ。つまり、ゾンビの道徳とは「自分にとって気持ちよく、その中でも比較的人を傷付けない行為」のことを暗に指しており、それはこの二十余世紀間で終わらせなければならないと私は思う。

 ゾンビたちは自分が如何に低いところにいるかというところで論じ合い、一番低いところにいる者が勝つ。ゾンビというのはウイルス感染の度合いの一形態でしかないし、菌類にとっては落ちるとこまで落ちるのが目的であるからである。しかし、一番低いところを奪われたゾンビたちは、自分たちがまだぎりぎりの位置で人間だということに安心して胸を撫で下ろす。

 最も高尚なゾンビは、最も多くの菌類に感染している。彼らはもう他にゾンビを増やす必要がない。

 ニーチェの言う通り「愛せないのならただ通り過ぎなければならない」が、私はやはり人間のことを愛していたし、単に通り過ぎるには惜しい存在だと思っていた。つまり、ゾンビは通り過ぎるために必要な思想だったのだ。ゾンビであるならば愛する必要もない。ではなぜ通り過ぎず、ゾンビ批判をするのか。
 人類を愛しているから。なのに見るに堪えないから。

 退屈な余暇を経験したことがない人らは、総じて認識の低い傾向にある。たとえば、時間さえあれば両親が遊びに付き合ってくれた人や、退屈を凌ぐ玩具やゲーム、遊びなどに困ったことがない人、土日祝日長期休みには、親族に内外問わず旅行に連れて行って貰った経験のある人たちのことだ。
 思想や思考が、刺激を受けている時に育つはずもない。暇を持て余している時に、刺激的な経験を磨り潰しながら作るのが哲学であり、認識が低いのはそれができなかったからである。
 到底物事に感動する素養を持たない幼少期の内に、この世のありとあらゆる構造を見せられれば、その人はもう生涯何かについて考える必要がなくなってしまうのではないか。というのも、大人の側は、それ(例えば景色や歴史的建造物など)が「素晴らしいとされていること」だと教え込むので、子供は当然に「素晴らしいというのはこの程度のことなのか」と無意識に覚えさせられる。子供にはまだそこまでの認識がないのに。
 つまり子供は、最上の歓びを、低いレベルで認知することになるのである。幸福の上限を限界まで引き下げられる。凡庸さというのはこうして誕生する。

 人生という一度きりの認識の手段の中で、ただ自分で善悪を考慮することもせず、安定に魂を売っているゾンビ。よくあるゾンビ作品の設定――生前の行動を繰り返し続ける――ゾンビは、昨日の行動を繰り返し続ける……。

 ゾンビの持つ「社会的意見」は、矛盾を恐れない。昨日はああ言った。今日はこう言った。明日はまた別のことを、矛盾とも知れずに言うだろう。

「究極の目逸らし」をすることで、ゾンビは死から目を背け続け、実存に向き合うことを否定している。せめてそれさえやめてくれればと思うのだが。

 ゾンビ批判をする時、私が特定の毛嫌いする個人のことを言っている可能性については、もはや否定もしないし、弁明もしない。そういう人種がいなければゾンビ思想も浮かばなかっただろうから。

 とはいえ、ゾンビ思想は私から遠く離れた人を論じているというよりは、むしろ最も近い、最も近いのになぜか接するのに苦労して愛するにあまりある人に向けられている。通り過ぎなければならないゾンビ。通り過ぎなければ身を滅ぼすゾンビ。愛せないなら通り過ぎなければならない、真理。愛する人からも遠ざからなければならない、真理――。

 要は、自分を論理学的な集合の中心と捉えて欲しいのですよ。ベン図を書く。その集合にひっかかりもしない人は当然にゾンビであるけれども、それよりかはむしろ、どこか自分の集合に一部分でも乗っかかっている人々。そして、その割合が大きい人々。これが苦痛だ。その人と私は、そこからそこまで一緒なのに、という不快。快感の多さに辟易する不快。これを理解してくれるのか、そうか、好ましいな、と思ったら警戒せよ。そんなに大切な人でも、重要なところが食い違っていたりする。

 愛とはそういう否定を肯定する行いであると言われるし、たしかに愛を徹頭徹尾行うなら真実だと思う。だが、愛を徹頭徹尾行う理由とは? 自分の中の大切なものを否定されることを肯定したり、相手の中にある不快な肯定を否定することをさらに肯定したりすることの、その行為は、はたして本当に健康的だろうか。ゾンビというレッテルを貼り付けてしまって、どうせ誰にも理解されないと、そう考えてしまうのが何にとってもいいのではないか。そういう考えを根底に持って世界に向き合って、誰もがゾンビだと思い合って生きていけば、私たちは平和に滅んでいけるんではないか。もはや誰も愛さないのが、博愛精神というものではないか。私は誰も傷付けたくないし、私も私で私を傷付けたくない。

Hi zombies~! 対訳 ごきげんようゾンビども

1
まあまあ、ゾンビにしては私を楽しませてくれた。それこそが私の無期待、非信頼、無愛情の宗教だ。

2
職場が8階にあると飛び降りたい時に便利だから好きだ。

3
早く両親に死んでみて欲しい。そのとき私がどう感じるのか知りたいから。悲しいかね、それとも……

4
徹底的なインモラリストであるか徹底的なモラリストであるかのどちらかにせよ

5
「人生はそう甘くない」つまらん思想だな。このクソみたいな人生にある限り世界を甘いものだと思って舐め尽くせ。

6
実存に対する攻撃それ自体が実存である。

7
「好きな異性の仕草は?」と問われた時「髪をかきあげる」だの「煙草を吸う」だの「袖をまくる」だの言うだろうが、なにをかわいこぶっているのか。「性行為で喘いでるとき」だろ?

8
もし死が否定され続けるなら、私の死んだ猫は道を誤ったか。そんな解釈は許されない。

9
私の狂気。鬱を治したくない。

10
ゾンビを愛するために生まれて以来君たちゾンビのことを愛し続けることに能わない。

11
くそ暑いくそみたいな夏の日、くそみたいに輝いたばかげた春の日。花のいくつかが教えてくれる。

12
冬、煙草、ショパンピアノ協奏曲第1番!突き刺す寒さが星の輝く高さまで連れていってくれる。近くで見ると星は輝かないが。

13
愛それ自体が愛の否定である

14
ごめんあそばせ、それがあなたの

15
目を閉じろ、万事解決だ。その腐った目を開けろ、万事解決だ。処世術を覚えたかね?

16
神よ、この世界を滅ぼすと誓おう。そしてこの人を赦したまえ、アーメン

Hi zombies~!

1
Well, Well, you entertained me for a kind of zombie. That is the religion, my unexpectations, my untrust, my unloved.

2
I love my workplace where placed eighth floor, it is so convenient for me when to want to fall down there.

3
I want my parents to die, because I can't guess my feeling then. Will I miss you? Or…

4
You only do Immoral, or do moral thoroughly.

5
''The life isn't so sweet'' Goddamn boring thought, isn't it? Unless you die, think this fucking life is sweety.

6
A mental attack on existence means to existence itself.

7
When you are asked ''What's your favorite of the other sex's gestures?'' You'll say ''combing his hair back'' , ''smoking'', or ''rolling up his sleeves''. Why do you pretend a cuty? ''panting with sex act'' isn't it?

8
To have been denying dead is that my cat's death is denied. If keeping breath is completely positive, my cat dropped off her ways? Never.

9
It's crazy of me to never want to heal my depression. I never want to heal.

10
I've never been loving you all zombies since I was born to love you zombies.

11
it was a goddamn hot fucking summer day, this is goddamn twinkle fucking spring day. I was taught by some blossoms.

12
Winter! Smoking a cigarette! Chopin piano concerto No'1. Stern freezing takes us higher where the stars twinkle. Stars can't twinkle to be seen near.

13
My loving itself denied my loving.

14
I'm sorry. That's your all...

15
Close your eyes! Everything's gonna be alright. And open your goddamn eyes, everything is going to be alright. Is your understanding okay way to live?

16
God, I swear to you I'll ruin this world. Amen. そして Huic ergo parce Deus.

これからも私は私の小説を愛し続ける

 小説は単にその瞬間のために書く、ということである。その瞬間が最もよい瞬間になるために、文字数がどれくらい必要なのか、そしてその瞬間のために必要なシーンにまた「その瞬間」があるか、というところで長編か短編かが決まる。思い付いた瞬間に、ああこれは長編だな、と気が付くわけである。大抵のwebの小説は、「ああ.これが書きたいんだろうな」、というのが1話で分かりやすく明示されてある。つまり、異世界に行っていい能力を貰うとか、そこで美少女と出会うとか、追放された末にスカッとジャパンをやるとか、冗長な手段は避けて、あとはそこにサビキ釣りみたいにストーリーが付いてくるという手段で小説が書かれている。私はそれなら短編でよいではないか、と思ってしまうわけだ。実際、それは短編でいいだろう。100万文字が「書きたいもの」の後ろに付いてくるのなら、その100万文字は惰性の100万文字だ。生まれてしまったのだから生きよう、みたいな、そういう諦めの惰性が、私たちが毎日仕事へ行くみたいな惰性がある。

 これが書きたい、が決まると、何が書けるのか、が、問われる。何が書けるのか、が決まると、さあ書けと腕が鳴る。1文字目の後ろに、たくさんの「これが書きたい」が隠れ続けている。1文字目は2文字目のための準備で、2文字目は3文字目の為の準備だ。ドミノみたいに一枚倒すとどんどん後ろに倒れていく。途中、カーブを付けて道を逸らしてみたり、丸を作ってみたりするけれども、既に立ててある向こうの黄金のドミノが倒したくて仕方がないのだ。My Magic!はもちろん、天上の黒百合もそうやって書かれてきた。My Magic!は今日の話でついにそこを捉えた。一番の目的をようやく倒した、このために書いてたんだ、としっかりと認識した。このためにこのキャラクターを作ったし、このためにあらゆるストーリーを書いた。まだまだ後ろには倒すべきドミノがたくさんあるが、作品はこの瞬間から「黄金のドミノ」に倒され続けていく。

 なにが書きたいのか決まっていて、そのために書いているのなら、なに評価などクソ喰らえだと思いたいところではあるが、それはそれでそうもいかない。My Magic!にせよ他の作品にせよ、私はあえてというか、むしろ恥を晒したくないからそれを獲得するという手段に走らないできた。馬鹿みたいな評価を得ることは可能だっただろう。作品のタイトルを馬鹿長くして、MMなら「女子高生ですが異世界で出会った女をみんな抱きます」にしたら馬鹿みたいに伸びるだろう。なんなら、完結したあとに検証として全く同じ内容でそういうタイトルにしてみてやってもいいな、と思う。いや、これは悪いアイディアではないな。絶対にやろう。これでもアクセスが貰えないならそれは、私の作品が面白くないということなんだろうけど、どうやら私の作品は、PV数で考えてみればそこそこやれているらしい。つまり、同じPV数、同じ話数の他の作品と比べてみると、それなりにウケているらしいのである。だからなんの不満もない。まあPVが0でブックマークも0だったらwebで書き続けてたかは分からん。書くこと自体はやめなかっただろう。それは私が全然ウケない絵を描き続けてたのと同じだ。そして少なくとも読者諸兄姉も私の小説の中から何かを見つけ出そうとしてくれていて、届くべき層にはきちんと届いているのかもしれないというのが、なにより嬉しい。
 話が脱線したが、My Magic!はそろそろ終盤戦に入る。まだ完結してもいないのに後書きみたいなことをして恐縮ではあるが、書きたいところが書けた、というそれだけでえげつない感慨を得てしまったので、この文章を書かざるを得なかった。それだけが言いたかった。My Magic!は私にとって愛すべき文章の羅列になってくれた。書き始めて一年以上たつけれ、本当によかった。みんなも愛してくれてありがとう。