天啓観測

Hi zombies!

優しくって、親切である、人のためのバイブル


もし、あなたが、優しくて、親切である、ということを、自覚していて、あまつさえそれをアイデンティティとして「プラス」に捉えているのだとしたら、それは、徹底してそうあるか、徹底してそれをやめるか、のどちらかに進むしかない。

優しさは他者に対する「許し」である。親切をして与えられる侵害をそっくりそのまま受け入れる、ということに他ならない。人は人の優しさにびっくりするほど付け上がる、ということを、本能的に理解していないとならない。そして、一度他人に優しくしたら、二度と優しくしないことができない。たぶん、優しい人はそれに耐えられない。

他人の視線が怖い人は優しい。しかしその場合、その優しさは「自分を守るための優しさ」だと自覚しなければならない。つまり、優しくすることで他人からよく見られて、それで悪態をつかれないということを得ようとしている。が、優しくしたことで受ける侵害と、優しくしないことで受ける侵害の、どちらが重いか。それを一旦考えてみてほしい。

それでも親切でありたい時、それが自分を守るためでなく、本当に他人を愛している時にするとき、は、他人のための、ふかふかのベッドであろうとするのをやめたらいい。もし他人の寝床でありたいなら、野営用の、藁のベッドとして振る舞う。愛は同情を超える。