天啓観測

Hi zombies!

ツイートにしておくにはもったいない美星のツイートたち

仮に自分が精神的な病を抱えていたとしたら、死にたくないという意識だけのためにそれを治したくはない。」

薬で私のすべてが良くなったらどうしようと思っていたけど、薬では私のすべては良くならなかった。物質では抑えきれない哲学と衝動が存在している。自律神経は自殺し続けている。不健康に痩せていっている。」

私はおしまいの時に限っていい服を着て、おしまいの時に限って身だしなみを整えたい。一秒後に常にが迫っているなら、やはり私はそうしたい。いざとなれば多額の借金をして、その金でヨーロッパへ飛んで、感傷の末に日本のど真ん中で死ぬことを常に念頭に置いているから、私は美を抱えていたい。」

一秒ごとに生の継続ではなくの延期がある」

私たちは常々、死に生かされている。これは本能的な部分であってもそう。とはいえ、生が生の延長でなくただの延期であることを自覚できないのなら、というより、生の延長として時間を認識しているのなら、行動の全てが退廃的である。」

について殊更語るのは簡単で退屈なことでもある。誰もが最初から持ち合わせているものであるし、ありふれた題材だから。だがの不安との救済性を高いレベルで監視できなければ、生きることは誤謬になるし、生の肯定はの否定により可能なわけでもない。」

あらゆる歓びは生への執着を誘うのに、こと若さに関連する歓びに関しては、ただ唯一例外的にへの執着を誘う。美しい状態で人の目の前から消えるのがもっとも悦ばしいからだ。」

は?誰だ 私のを覗き込むな 引きずり回すぞ」

 

そもそも社会はを度外視しないと成立し得ない構造になっていることに気が付けないか?「生涯年収」という言葉が普通に受け入れられてるのが気味悪くて、なんで当たり前に いや、だからか。を度外視しさえすれば世界が回り続けるのを意識下で認識しているのか」

寿命か何かで死ぬ前に絶対に自殺してやるという決意が私を生かしている」

博愛が高じると人間嫌いになるから、人間愛はほどほどにした方がいい。人間の心配や不安を突き詰めれば人間に至るから、私は人間嫌いなのである。」

一つの物事について思考した時に倒錯が一度も起こらなかったとするならば、それは十分に考えたとは言えない。ゾンビは一度目に思い付いたことを愛し続けているから、ゾンビなのである。哲学的命題を見付けようとする人は私の周囲にも少なくなかったが、哲学的であった人は限りなく少なかった。」

 

死刑制度の疑義を物語上で提起する時、「悪の検察」や「国家権力でしかない裁判所」を作り上げるしかないのなら、それは十分に問題を槍玉に挙げたとは言えないのではないか。つまり、「そういったものが存在しなければ死刑制度は存在していい」という反証を作り上げてしまうのでは。

修正資本主義社会の次はAI・ロボットの活躍により共産主義が修正された''修正共産主義''社会がくる。 共産主義から労働の義務と権力ゲームを抜いた修正共産主義時代がくるんだ。」

宗教の自覚性……宗教の自覚性! 宗教の自覚とは何を意味するのか。信仰を告白できること? どちらかと言えば、自らの宗教にあえて論駁をしないことか。ありとあらゆる宗教が不在を盾に存在しているというのに? 超自然的なものを対象とする宗教は、自覚性がないことそれ自体を前提としてはいないか

美と健康、二次関数」

 

優しくされるとすぐ好きになっちゃうので、注射打ってくれたお兄さんのこと好きになりそうだった。ワクチン接種、二回目です。現在接種後30分、頭痛、肩こり、ドライアイ、不眠、気だるさ、自殺願望。←人生の副反応」

『私に還りなさい』って歌詞めちゃくちゃ共感できる。人は、私に迎合するように。」

寒すぎるけどどうしようと思って困ってたんだけど上着きたらめちゃくちゃ暖かくなってよかった。←夏の間に忘れてしまったこと」

新しくオーディオ機器を手に入れた時はラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を、第一楽章から第三楽章まで通して聞くといい。三回イケたらそのオーディオ機器はいい、一回もイケなかったらそのオーディオ機器はダメ。」

マッチョの仲間に「筋肉は裏切るぜ」って言われて裏切られたい」

わたし、人類のなんなんだろう。一員だったらやだな……」

 

恋愛をしている時間は自分が前に進んでいる気がしない。退廃的である」

恋愛も友情もどちらも大層なものだとは思ってないけど、それでも優先順位でいえば、例えば恋愛が原因で友情が決壊しそうなら、間違いなく恋愛の方を潰す。」

他人から自分に向けられたにせよ、自分から他人に向けられたにせよ、恋愛の兆しみたいなのが走ると、落胆して死にたくなる。細胞的に物質的で機能的であると想起した途端に人生の全部無駄になったと思う。」

私が培ってきた知性や美学が、それが内面的だろうが表面的だろうが、結局のところ恋愛的強弱の思想に根ざすものだったとしたら、悔しいくらいに虚しい。」

恋愛と性欲と資本主義だけはダメだ。全て何も愛せないことの証明だから。」

私は寝られないのと同じで恋愛をする。そういう病気に罹患する。どちらも精神に根ざすものだけれど、神経は物質に変わりないわけだから、身体の病気である。恋愛は罪悪どころか病気なわけだ。」

病気だから悪いというのではない。そもそも病気なんてものは身体の状態の分類における名称であって、水でしかない海と川の境目をあえて分けようとしたものにすぎない。正常な状態もいわば正常という病気であり、恋愛もそうだよと言っている。それが誰も分かっていないから。」

恋愛における記念日←どれだけの時間を無為に使ったかを改めて認識させる手段。恋愛は過去を拘束する。(病気は未来を拘束する)。現在を拘束するのは金。恋愛もやっていて、金もなくって、病気があったら、もう終わりだ」

 

猫に構ってもらおうとすること自体が一種の誤謬であることは間違いないけど、猫カフェの猫はなんというかその水準をはるかに超えて構ってくれない。関心と愛着はあるが無視する感じが飼い猫にはあるんだが、猫カフェの猫はもう人間に対して悟りを開いていて、怖い。」

身だしなみは相手への敬意ではなく、自らへの許し。多少めちゃくちゃなことを言っても清潔に見えれば聞く耳を持たれるし、逆に言えば清潔感のないやつはまともな事を提唱しても相手にされない。」

自らの信じる感性がないから、流行ってるものしか見付けられない、流行ってるものしか好めない、流行ってるものしか嫌えない。」

 

先輩、私はキスをするとお花になってしまう一族の末裔なんです」

冬の澄んだ空気を吸うことと珈琲を飲むことはだいたい一緒の好ましさがあります。」