天啓観測

Hi zombies!

例えば夢

 睡眠薬を握り締めて橋の上に行く夢を見た。たぶん普通に飛び降りるより、朦朧としたまま落ちて衰弱するみたいに死ねて楽に違いないと、前々から私が計画している方法だから、夢に反映されたのだろう。死ぬ間際の夢の中で私が留まったのは、河川敷に猫の姿があったからである。橋の下からじっと私を見つめる丸い双眸が、月より美しく私を射った。心臓に刺さる視線であった。それでいて他人の無関心の視線に似ていた。月がただそこにあるのと同じように、存在するだけだった。私がいまそこで飛び降りようと、あるいは踵を返そうと、好きにせよという瞳だった。猫に自殺は分からん。ただ煙草を吸っている私の右手を見て、煙たくて敵わんとは言いたげだった。河原の草原で行儀良く、前足を合わせて、バレエをするみたいな仕草でつっと顔を上げる猫は、たくさんのことを同時に考えているが故になんら思考していないように見える、三歳の少女くらいの様相を抱いていた。目をまともに大きく開く気力も私にはなく、死んだ視線を寄越すくらいしかできなかったが、でもあまりに好きだった。

 好きだったので好きな人のことを思い出した。ふとこう思い立って、不断あまり連絡は取らないのに、いま睡眠薬をすべて手に握ったまま橋の上にいて、けれどもそこに猫がいたので、なんとか生きながらえていますと送ると、向こうもいつもはそれほど早くない返事をその時は早く寄越してきて、「猫さんありがとう」と言うわけである。

 私は愛するふたつの存在を感じて、煙草の火を地面でじっくり消して、橋の上を去った。どうせ死ぬのだからと真冬に上着も引っ掛けず出てきて、行きはよいよいと寒さも感じなかったが、帰路は酷かった。生きることは苛烈だと思った。悲劇は喜びの美的な形態であると、私のまた愛する哲学者は述べたが、その言葉がぐるぐると頭の中を廻っていた。