天啓観測

Hi zombies!

本当に頑張っている人はどんな人の目にも輝いて見える。らしい。

 タイトルにある『本当に頑張っている人はどんな人の目にも輝いて見える』というのは、私が中学二年生の頃の担任の先生がよく言っていた言葉でした。

 

 

 私はその担任の先生のことをいい先生だと思っていたし、当時はその言葉も好きでした。

 

 

 なぜならがんばりの定義が分かりやすい気がしたから。

 

 たしかに、本当に頑張っている人がいたらきっとそういう人なんだろうなということを、漠然と思ったわけですが、

 

 

 大人になるにつれて、この言葉が嫌いになる自分に気が付いたのです。これって、自分の頑張りを他人の尺度に委ねることで、同時に自分の尺度を他人の頑張りに押し付けることなのでは、と思うわけです。

 

 

 私が仮にこのブログを読んでいる誰かひとりに「本当に頑張っている人ってどういう人だと思う?」と質問して返ってくる答えと、さらにもう一人に同じ質問をして返ってくる答えは必ず違うはずだし、その二人と私の答えもまた違うわけです。

 

 

 努力とかがんばりの尺度は必ず人それぞれであって、そうであるのに他人の尺度に身を委ねること、自分の尺度を他人に押し付けることは、両方そろって愚かなことだと思いませんか。

 

 

 

 努力のゴールラインを定めて、そこに辿り着くことで努力を評価することをまあ結果主義と言いますが、これもまた愚かなことです。

 

 結果を崇拝すると努力が死にます。例えば何かに入れこみ努力をしたことが結果として実らなかった時、実らなかったという結果を重視すると、それまでの努力で身につけた物事に意味が無くなることになるし、それを糧にできない人がいるのであればその人は人生が下手です。(運命愛)

 

 いや、そうではないと言うのであれば、その人の結果主義は中途半端で話にもなりません。そもそも人間の結果とは死ぬことであって、それなら今ここで何らかを努力することに意味は無いのではないかというニヒリズムに陥るのです。愚かなことです。

 

 

 

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