鬼才ミソシタ
日本のラップはだめだった。
「我々の文化を楽しんでくれるのは嬉しいが、日本人のそれはHIPHOPではない」というのが本場の認識だったし、私とてそう思う。
奴隷層、あるいは貧困層で、メロディの存在しない場所でお互いをディスり合う。あるいはそんな世界を。
親と友達に感謝するくらいならディスらなければダサいし、大きな災害が起きた時に売上を寄付したら名折れ。本場のHIPHOP界隈では毎日汚い言葉で罵りあい、人が死ぬことさえある。
精神的に参っていた時の私を救ってくれたのは、そんな吹っ切れたリリックたちだった。
それに比べれば、日本のラップが模倣以下であるというのは、残念ながら否定できない。もしそうでないというのなら、あえてダボダボの服を着て、ごっついアクセサリを付ける必要は無かった。
模倣に始まり模倣以下に終わった。それが私の日本ラップ界に対する見識だった。
そんな私を、地下二階から呼ぶ声がした。
人の闇は笑うな、だが俺の闇は笑え。
鬱屈とした言葉。それはまるで日本社会を風刺しているかのようだった。
ミソシタの「ミッドナイト・ファイティングブリーフ」を聴いた時、私はやっと「日本のラップ」を知った気がする。
模倣に始まったそれが、ようやく独自の文化として開花した。
散切りイチモツを叩いた瞬間、文明開化の音がしたのだ。
日本の変態性、スケベ心、鬱屈とした偏狭な精神。それは無闇に誰かを批判しない。自分に対する批評を繰り返す、哲学的なリリック。親や友達を愛でる暇があれば自分のイチモツを愛でる。
そんなポエムコアを聴いて、私は初めて堂々と「これが日本のラップだ」と言えたような気がする。
ミソシタからは逃げてもいい、だが自分からは逃げるな。
ちなみに美星は「我闇ナリ」が好きです。
※このブログでのポエムコアに対する解釈は、あくまで個人によるものです。あなたのポエムコアを見つけてください。
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