天啓観測

Hi zombies!

「ほっとけば無駄毛が生える人間の中では本来マイノリティなのに、あえて脱毛してマイノリティの側に行こうとする人はおかしいと思う」


 こう言われた時、「ほぉ」と言った。「ほぉ」、なんて人生で初めて使った。たしかに、ほっとけば無駄毛が生える人間の中であえて脱毛をするのは逆差別的な向きがある。黒人が排斥されていたアメリカの大学で黒人が優遇されるのと、似てる。

 しかし、そもそも脱毛は果たしてこれまでマイノリティだっただろうか? その前提がなければ逆差別とは言えない。というか、上の「おかしいと思う」のが割とおかしいと思うのだけど、本来マイノリティ側の反動が起こる理由ってなんなのだろうか。

 マジョリティ側に回るためだろうか? いや、そうではない。例えばマイノリティとしてこれまで奇異の目を向けられてきたLGBTが、激しい活動を通して認知され受容されてきたのは、マジョリティに回るためではない(基本的にはそのはず)。むしろ、マジョリティとマイノリティの垣根を無くすのがマイノリティの反動の目的ではないだろうか。

 上の言説が出たのは、マジョリティとマイノリティに関する普遍的な議論をしている時だった。仮にもある程度(少なくとも議論に参加しようとするほど)その分野への知識に自負があるのであれば、なかなか「ほぉ」で済ますには厳しい発言だと思う。

 発言者が脱毛するにせよしないにせよ、つまりマジョリティであるにせよマイノリティであるにせよ、そこに垣根を感じて、「する人はおかしい」などとは言うべきではない。現状のマジョリティを批判すべきではないということだ。何故なら脱毛する人としない人の間には「逆差別」が発生しているとは言い難いし、上で言ったように反動があったわけでもない。

 脱毛する人やしない人がいてもいいよね、というのですら上から目線で、そういうもんだと構えるのが、仮にも「本来のマイノリティ側に回ることになるのに」と慮って『脱毛をしない現状のマイノリティ』を憂う人間に必要とされていることじゃないだろうか。

 つまり、マジョリティとマイノリティの関係を憂うのであれば、マジョリティをマイノリティ側に回そうとも、マイノリティをマジョリティ側に回そうともするべきではない、ということです。「おかしいと思う」という暇があったら「そういう垣根が無くなればいいのにね」と考えるのが、マインドセットとしては建設的だと思います。