天啓観測

Hi zombies!

他人を生きづらくしようとすると結果的に自分も生きづらくなる。

 私はめちゃくちゃ人の目を気にするのですが、でもそれって私が他人を見すぎだからでは?ということに最近気が付きました。

 どういうことかと言うと、私は赤信号で信号を渡らないし、列は抜かさないし、電車ではリュックを前に背負うし、出る人が先だし、前の人を押すことは無い。エスカレーターは左側に立つし、歩きタバコもしない。道端で痰は吐かないし……どれも当たり前のことですが、私は私がこうしてるからこそ、そうしてない人を見ると無性に腹が立って仕方が無いのです。

 恐らくそれはたまたま目に付いてイラッとするような次元を超えて、私の視界に映るあまねく人間が、一様にそれらをしないことを望んでいて、仮に見えたら心の中で口汚く罵る。

 そういうことを繰り返していく内に、はて、では私は誰かの目に迷惑に映ってないだろうか?と気にするようになり、果ては自分のほんの些細な行為が誰かの目線の内にあるということがひたすらに気になるようになってしまったに違いなく、人を批判的に見るという行為が、人に見られているという強迫観念に繋がってしまった、と考えるのが自然なんだと思います。

 いずれにせよ、誰かへの批判はそのまま自分にはね返ってくるはずです。とりわけ、正義感があればそれは窮屈なものになる。人に厳しく自分に優しい人間もなかにはいますが、少なくとも考える上では私はそうではなく、だからこそ少し生きづらさを感じていた。

 多少人に優しい目線を向けることが自分を解放する手になるんじゃないかと気付いてからは、少し楽になりました。人とやたら目が合うのは私が見てるからで、私が何も見えなければ、やはり周りは私のことなど見えないのでしょう。