天啓観測

Hi zombies!

同情という最も好ましくないもの


 例えば愚かな結婚によって私が生まれた。私の両親は大層ろくでもなかった。というか、周りの大人は総じてそうであった。ろくな教育を受けなかった。私が親の思い通りにいかなければそこには必ず痛みが伴った。痛みをどれだけ我慢し得るかが私の反抗と、私の不出来の限度であった。

 例えばそもそも好ましからざる結婚の中で、最も好ましい結婚があり、それによって君が生まれた。両親は美しく慈愛に溢れ、十分な教育を君に施した。信頼と称賛は君の自信となり、必要な道徳と倫理観と、共感の力を得た。

 だから君は言うのだろう。「両親を大切にせよ」と。そう、確かに言っていた。以前までは言っていた。だが大人になって言わなくなった。なぜ言わなくなったのか。

 私のことを知ったからだ。

 優しい君はこれまでそんな人間がいることを知らなかった。家庭に、親に恵まれない人がいるということなど知りもしなかった。だから言っていた。「両親を大切にせよ」と。だが君は私を知った。両親に大切にされて育った君はその教訓から人に両親の大切さを説いた。そのとき、両親に大切にされなかった者のことを知った。知ったから、優しい君は、同情から、二度とそうは言わなくなった。

 そう、この世で最も好ましくない同情から

 なぜ言うのをやめた。君は全く間違っていないのに。なぜやめたのか。それは同情からだ。君は同情をした。その瞬間に、君の目には好色が入り交じった。同情とはいつ如何なる時にされるのか。強者が弱者を見るときだ。その瞬間に、君は私を弱者として見たのだ。その自覚なしに、ただ同情から、人の気持ちが分からんやつと言われたくない保身から、君はその良心からくる信条を、教えを口にするのをやめた。

 なぜ言うのをやめたのか。

 言え。お前が言わなくて誰が言うのか。お前以外に誰が「両親を大切にせよ」と説くのか。なにも間違っていない。お前はお前の両親に大切にされ、その世界から呼びかけるだけなのだ。てめえが持っているものを持っていない奴を弱者として見るな。言わないことを愛だと思うな。それは愛に見せかけた無情だ。同情を人に投げかけた時点で、お前はその時にもっとも矮小な人間に成り下がってしまった。同情などしなければよかったのに!

 なぜ私が、恵まれている人を見て、耐えられない人間だと思われなければならないのか。それ以上に、そんなこと以上に、小さい同情をされる方がよっぽど耐えられないのである。全てにおいて、君は私を弱く見た。こんなに失礼なことが他にあるだろうか。同情よりも好ましくないことが。



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