天啓観測

Hi zombies!

クソでか感情だけが常に渦巻いている。

 クソでか感情だけが常に渦巻いている。



 私が人を愛すときは極端すぎるし、人を嫌うときも極端すぎる。私が誰かを好きになったり嫌いになったりしている状態というのを、クソでか感情が渦巻いている、と言う。



 私が誰かを好きになる感情は計り知れないほどでかくて、多分その人には受け止めきれない。だから知られないようにしている。知られないようにしていると、その人は私のクソでかい感情に気づかないまま、私の好意と大きな差のついた好意しかくれないので、私は不満を覚える。私はこんなに好きなのに、となるのだ。



 逆も然りで、多分誰かは私にそんなに嫌われているとは思っていないだろうが、私にちょっと嫌いの文字はない。何故ならクソでか感情だから。それでも私は不満を覚えるのだ。こいつ、私にこんなに嫌われてんのによくそんなことができるな、と。相手は知る由もないのに。



 クソでか感情が一線を越えると、無になる。それは好意であれ嫌悪であれ変わらない。好きが振り切れると、嫌いが振り切れた時と同じように、その人に対する感情のほとんどを失う。一線を越える原因は、間違いなく上で書いたような不満が溜まっていくことだと思う。基本的に、不満は限界を知らない。信じきれないようなクソでか感情を包み込むような不満に満ちた時、私は無感情になる。



 何度も言うけれど、それは好意であれ、嫌悪であれ、である。私の感情は重すぎる、とよく思う。昔から自分の感情に、誰よりも敏感だった。私は今こう考えている、こう思っている、こう感じている、ということの認知をしてきた。物心ついた時から十数年間やってきたその認知が「でかすぎる」と言うのだから間違いないのだ。



 私にはちょっと好き、とかちょっと嫌い、とかがない。


 めちゃくちゃ好きか、めちゃくちゃ嫌いか、普通か、無。