天啓観測

Hi zombies!

人は常に「許し」を内包していなければならない。

 許しを内包している。

 ルールに従って素直に生きるというのは、ルールに従わず非正直に生きる人を「許す」ことをあくまで内包していると思う。

 逆に言うと、ルールに従って素直に生きるということは、ルールに従わず非正直に生きる人を「許さない」ことではなく、または攻撃することでもない。

 自分たちはこんなにルールを守っているのに……という悪態が出るとすれば、その系譜はなんだろうか。ルールを守らねばという自分の良心ではないか。良心に従って、自分が、生きるところを、他人もそうでなければとするのは、あまりにも脆弱な状態で、脆弱な良心である。なぜなら、では自分もルールに従うのをやめようという良心の反動を無条件に受けることになるから。

 自分が自分の良心に基づいて、その信仰に基づいて生きるのは、自分が気持ちいいから。これはルールに従わず生きる人がなぜルールに従わないのかと全く一緒である。もちろん、ルールに従う正直者が「許し」を内包しているのと同時に、ルールに従わず非正直でいるものも、その行為に対する責任に「許し」を内包していなければならない。

 脆弱な良心なら無い方が生きやすいということは言うまでもない。どのみち、どんなに欲を捨てようと欲しても、欲を捨てることそれ自体を欲望しているのだから、自分の欲が、つまり、自分の欲する自分の姿がどんなにまともで美しいかを、それぞれがそれぞれの見るところで論じているにすぎないのだから、芸術に貴賎なしと思われるのと同様に、どうせ何かが変わる訳では無いのだから、「許し」が常に内包されていた方が、よっぽど生きやすいのである。

 てめえはてめえってことです。