天啓観測

Hi zombies!

Hello, Alone


 誰かといても満たされないのは、本質的に誰かといることを求めていないからではないか。人は孤独を求めている。

 誰かといても満たされないのは私が孤独だからだ。孤独が最たる恋人なのだ。だから、私はいつの間にか孤独の淵にいて、そこから離れようとしても離れられないでいる。孤独が私を欲しているから、知らぬ間に私が孤独を欲している。

 孤独への欲求はその裏返しで表現される。群れ、饗宴に浸り、愛し、愛され、求める。際限なくそれが行われるのはなぜだろうか? それは、求めているものが本質的にそれではなく、その求める感情の系譜を探れば、自分を探し、孤独を探しているからだ。人は自分が何者かを知ることができずに、人にとって自分が何者かを探し続ける。知ることができないのは、単なる力不足が根本原因である場合と、そうではなく、知ることを恐れるのが根本原因である可能性がある。前者と後者に共通するのは、どちらも人間的強度が低いということだ。前者は知性が足りず、後者は自責とそれに耐えうる精神力が足りない。

 自分を探すことを恐れるものは、常に自分を自分の外で探そうとする。友に聞いても、インドを旅しても、それが見つかるはずもない。そこにあるのは外から見た自分だけであり、自分の内側にあるものは見つからない。見つけるべきは、自分の内側にある自分自身であるのに。しかし、それを得られるとしたらいつ、どんな時であろうか。それは、孤独の時である。孤独で、誰も話す相手がおらず、全くほかに刺激を受ける状態ではないとき、初めて人は自分の中身に向き合い、自分を探すことを知る。それを求めているが、その方法を知らないが故に、あえて自分の外に自分を見つけようとするのだ。