天啓観測

Hi zombies!

社会の子育て

 そういった問いに、支離滅裂なく十分な解答を待つということはなにより素晴らしいことだとは思うが、子供に環境問題やジェンダー問題について考えさせることにどのくらい意味があるだろうと考えませんか。なにしろ、試験問題に「差別について考えましょう」とある時に「差別は必要だと思います」と答える子供はいないし、大人も「そう書くな」と教えてしまうのではないか。子供は実存も無いまま本質的な事だけを伝えられる。日本の義務教育の敗北はよく言われるところでありますが、実際に敗北しているのはそういう点では道徳教育だけだと思います。

 また何より懸念すべきは、大人でさえ本当にはそれをできていないのに、上記のように子供に指南をするということ。それならば子供は難しいことなど何も考えず、自由に生き自由に発想し、自由に思想やら倫理観やらを培っていったほうが断然にましだとは思わないのだろうか。私の母親は私が同性の恋人を紹介したら卒倒するタイプの人間だが、私は同性の恋人がいずれできる可能性を排除できないし、自分の子供が連れて来たら「おうやれやれ」という人間に育った。これは親がやたらと道徳を私にやらなかったという点もありそうなものである。

 最終的に、子供は周囲の環境を見て育つ。環境とは親もそうだし友人も、はては友人の親もそうである。その人たちが何かジェンダーのことや環境のことにある程度の取り組みや態度を持っていることが、とりわけそれが嘘でないことが、なにより重要なのではないですか。