天啓観測

Hi zombies!

究極の被害妄想。世界は加害している。

「お前なんか生まなければ良かった」と言われる方がよっぽど救われる。私が生きながらえていることを母親がどうやら喜んでいるらしいというのが嘆かわしい。私の数年前に堕ろした子供と同じ末路を与えてさえくれれば、生きる活力なんかに、盲目にされなくて済んだというのに。私も堕ちるという選択肢があった。だが私は生まれて生きている。私は私であると同時に、堕とされたその姉か兄かである。二重の人生と二重の苦楽と二重の認識。血の繋がった幽霊に、その生の疑問に、私は網膜の色彩で答えている。



 夢は、甘い夢や忌々しい夢となって、私が今まさに忘れようとしていることを思い出させる。畢竟、父親の暴力、母親の不貞、積年の怨み、失われた青春、目の回るような高所、性欲、叶わぬ恋、犯罪、不快な人々、自転車の乗り方、かくれんぼの仕方、光芒、夕暮れの眩しさ、暗さ、星で埋め尽くされた藍色の夜空、いまだ見ぬ美学、落ちる感覚、朝目覚めるたびにはたと気が付く。世界はいかにして、私を私たらしめたか。



 どうしてこうも世の中というのは生きるに値しないのだろう。死ぬなら、私の死で死ぬほどの苦労をする人を、あと十人は増やしてから死にたい。そして、保証人をあの耐え難い親にして、金を借りて、その金で愛すべきヨーロッパへ飛んで、そこで死のう。死ぬ前にこの澄んだ瞳で何を見るのだろう。ロンドンの時計台と、ドイツの高台の城に、スペインの海。フランスの教会や、ボスニアの川。死を覚悟して見る憧れの景色は、紫陽花だけを吸った色水に溺れるみたいな心地に違いないわけだから。



 不眠の人間しか持たない精神的な錯乱。しかしそういう人々のみが持ちうる世の真実とか、深淵を覗くような芸術。そういう物に魅入られる時間こそが不眠の夜であった。自殺と隣り合わせにしか得られないきらめき。夜の長さは疎ましく美しい。中心は黒髪を集めて作っているのに、その面で白さを散らす黒曜石の様相を携えて、私を起きることへ誘っている。前日の疲労も、当日の都合も、翌日の予定も関係ない傲慢さの頭を包んで撫でている。



 愛されようと振る舞うゾンビ。身体だけは馨しいけれど、腐敗した脳を抱いている。いい、愛されようと欲したらいい。私は――あなたの家に土足で上がり込んで、虹彩を至近距離でみつめながら、あなたの思想にメスを入れ、掻き混ぜて綯い交ぜにする。私に愛されようとさえしなければ、あなたはなおも「常識的」で「道徳的」で「誠実」であったというのに。最後には私を五番目の愛人にして欲しい。他のどの愛人よりも利発で冴え渡る思想を抱いていると信じながら、嫉妬で胸を焦がして、鮮明に、先鋭化してゆく。さもなければ血を浴びせる。



 電車の一両目の先端には、人を殺すためみたいな突起が付いている。それを見つめるおかげで、自殺が引き止められる。



 はっきりしている。君たちのことなど、痛いほど。あまりに痛すぎるので、同情したくないのである。同情されたくないのは、私の痛みを君たちは堪えられないからである。



 究極の被害妄想。世界は加害している。いや、そうである。誰がなんと言おうと、私が最も不幸であり、私以外のあまねく事物が幸福である。私だけが苦悩しているし、苦痛に身を切り裂かれているし、私だけが失恋しているし、夕立ちに打たれるのはいつも私だけである。だから、世界を最も輝かしく見ている。水溜まりが地に空を落とした瞬間に気が付く。自殺は順に巡ってくる。これは、出番が廻ってきた中で最も不幸であるのに、自殺をしなかった者の特権。



 下らない雨の日。空は灰一色に染まり、階下の人々の胸中さえつまらなくする。荒んだ視線を空に投げかけ、落とす。雨に濡れた漆黒のアスファルトは、その代わり全ての光を反射していた。車のライトで黄金に光る。信号機で極彩色に輝く。ビニール傘は雨の飛沫を愛らしくする。傘の下から入り込んできた風は図々しく前髪を浮かす。荒天が美しいのは、いまや誰の目にも明らかであった。




 愛を語れば花に化す。そういう運命の元に生まれた人を愛したとして、私はその人に愛を語っては欲しくなかったが、それはきちんと花になる。運命に抗わないというか、仮に骨を折っても、運命の通りにする、そういう気概の花になる。



 不躾だけれど君たちの認知の歪みを一つ質さなければならない。残念ながら「芸術に人生を変えられる経験」などない。芸術は君たちの人生が正しかったことを見つける。その心境の変化を君たちは人生の変化と呼んでしまうわけである。何も無いと思い込んでいた無色透明の四角い硝子に、途端に水彩を注がれ、混乱しているに過ぎない。